愛知県刈谷市 三河・重原陣屋跡 | ラビットのブログ

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2015‎年‎10‎月‎13‎日
愛知県刈谷市 三河・重原陣屋跡
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 三河・重原陣屋
みかわ・しげはらじんや
形態:陣屋
歴史
寛政4年陸奥国福島藩板倉氏によって築かれた。
この地は元々刈谷藩領であったが、寛政2年に起こった土一揆により、
幕府に福島藩領との領地替えが命ぜられた。
福島藩板倉氏は天明の飢饉などによる財政の圧迫により
幕府に領地替えを嘆願しつづけ、刈谷藩領一万三千石と福島藩領一万石
そして天領三千石が替え地となった。
この飛領地を管理するために重原陣屋が設けられた。
明治元年福島藩は奥州列藩同盟に与した為、藩主板倉勝尚は隠居を命ぜられ、
家督相続が認められた板倉勝達は旧会津藩領大沼郡内に
移封を命ぜられたが、明治2年に三河国重原二万八千三百五十二石に移封となった。
説明
重原陣屋は現在の浄福寺一帯に築かれていた。
遺構は残っていないが浄福寺の山門脇に石碑と案内板、
そして牛田村と池鯉鮒宿との境にあったという福島藩領の碑が移されている。
城主:板倉勝達
愛知県刈谷市重原本町1