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「美しすぎる母」原題 Savage Grace:トライベッカ・フィルム・フェスティバル

4月23日から5月4日まで開催されたトライベッカ・フィルム・フェスティバル。今日は3本鑑賞した中から、Savage Grace(サベージ・グレイス)の感想を。まず、英語タイトルの意味は「残酷な気品」とか、「野蛮なたしなみ」といった感じで、このほうが映画の内容を包括している、と個人的に思う。近親相姦が招いた殺人事件と簡単に言えるが、なぜそこに至ったのかが深いテーマとして描かれた作品だ。

トム・ケーリン監督が実際起きた事件を映画化(ベースとなる本を基に)した日本語タイトル『美しすぎる母』は、1946年の息子の誕生から息子が母を殺す1972年までを描いた富豪一家の物語。富豪のベークランド家に嫁いだバーバラ(ジュリアン・ムーア)にとって息子トニーの誕生は、もともとバーバラに冷めていた夫に代って新たな愛の対象を得る機会となった。トニーも父の愛を注がれる事なく育っていく。一家は夫ブルックスのビジネスの関係でニューヨーク、パリ、マジョルカ、ロンドンと引っ越しを重ねる。いつも母に手を繋がれて育ったトニーも青年となるが、男友達とホモの関係を持つ。マジョルカの海岸で知り合ったガールに始めて恋をするも、両親に紹介後はあっけなく父にさらわれてしまい、父は家を出てその子と暮らし始める。残された母と息子。

ジュリアン・ムーア無しで、この映画は品格ある映画にはなり得なかった筈だ。細かいストーリーは省くとして、特に印象に残ったシーンのみ伝えたいと思う。

まずは夫の愛を必死で取り戻そうと、夫が泊まるホテルへストリッパーごときの出で立ちで押し掛ける。「これが好きなんでしょ」と言いながら誘惑し、愛のないセックスを受ける彼女の表情。鏡に映る自分の顔を眺めながら、バーバラは夫の愛が戻らない事を初めから知っていたようだ。悲痛な現実を他人事に受け止めている。そこにはあきらめや覚悟といった言葉では表現しきれない深い哀しさが漂う。夫と若い女の旅に空港へ追いかけて罵声を浴びせた帰り、拾ったタクシーで勢いにまかせてホテルへ行くバーバラ。帰りに送ってもらったところで、相手をしてくれたドライバーに謝礼金を差し出すも、ドライバーはいらないという。車が去った後、己の哀れさにせきを切って涙するバーバラ。もし、ドライバーが金を受け取ってくれていたら、バーバラは泣かなかったろう。更に別のシーンでは息子の上に乗って腰を振るもイッてくれない息子に次はハンド・ジョブを懸命にする姿。ここは後ろ姿が映るのだが、まさにその一生懸命さに精神異常とひと言では言い尽くせない「母の極限の愛」が見てとれる。それでも、バーバラは息子を溺愛している訳ではない。

そう、ジュリアン・ムーアは不幸な女役が似合う。不幸や哀しみの領域にある、その深さや幾重にも連なるひだ、そのよれ具合など全てを彼女は表現できる数少ない女優だ。

話を作品に戻すと、家族へ全く愛情を注がなかった父親の存在は、父親のいない家族より不幸だと気付かされる。母を殺した息子も、息子に殺された母も被害者として見るのは私だけではないだろう。


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Savage Grace