昭和の頃筆記試験高得点獲得だけで採用されました | 地方公務員失敗例

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カッコウ托卵の人間版「危険な情事」熊本県職員バージョンのツイートです。

ナンで、こんな内向的な性格の人間でも
県職員として採用されたか?
結論から言えば、昭和の頃は、
県職員採用試験において
「第1次試験合格すれば、事実上内定確定。」
だったからです。
第2次試験は表向きの形式だけ。
採用人数は他に就職した人数分だけ少し減って、
事実上は全員採用でした。
昭和の頃大卒程度の県職員採用試験は
6月中旬頃第1次短答式筆記試験。
ここで高得点獲得して合格できれば、事実上確定。
発達障害自閉症スペクトラムみたいな性格なら
毎日部屋に閉じこもる又は大学の図書館だから、
「内向的な性格を逆手に利用して」
勉強に専念できて合格に有利なワケです。
昭和の頃第2次試験は、30分位の個人面接と
30分位7人位の集団討論。
この短時間方式だと、ゴマかしが効きます。
「内向的な人が、社交的な人のフリできるから。」
つまり面接試験他の時だけ明るく輝いた表情、
社交的でポジティブな回答、積極的に発言して、
面接官に好印象を与えるワケです。
第2次試験の記述式筆記試験
思考力や表現力を試す名目ですが、短い文章だけ。
こんなの内向的で自閉症みたいな人は、
高度な学問知識だけは豊富なので、
1~2頁の文章位書くのは朝飯前です。だから
「文章だけ見ると、社交的で好印象を与えます。」
こうして第2次試験も合格出来たワケです。
県職員採用されるため試験当日試験の時間だけ
「社交的な人のフリすれば良いのです。」
そして試験以外は、元の内向的なキャラに戻ります。
試験会場に入場してから待機時間一人でいます。
内向的な人は、見知らぬ人には話しかけないので、
食事も一人で済ませ、
その日誰とも会話しませんでした。
熊本県職員採用試験が第3次試験になったのは
平成初期になってからです。
昭和の時代は学歴社会、試験で高得点獲得すれば、
全部OK、それだけで就職出来でした。
合格採用された時は嬉しかったけど、
内向的で自閉症みたいのが、
学力だけで採用されて良いのかと、
内心申し訳ない気持ちでした。