なんでこの人はこんなにあっけらかんとこんな場所にいられるのか。
確かに、ろくに人の顔なんで見ないで生きてきた俺だ。それでも一個の会社の経営者におさまってられるなんて、どんだけ人でなしなのかと自分でも思う。でもできてしまう。そこに俺の非はない。
そんな俺を笑うかのように、あっけらかんな笑顔でこの人は履歴書を俺に差し出す。
あんた、と俺はその笑顔に向かって言いたい衝動にかられる。あんた、あの人を覚えてないのか。
ちょっと、と俺は氏名の欄に「多摩木正」と記された、秋山隆の履歴書を持って立ち上がる。立ち上がらないでは、そして彼女の表情を見ないではいられない。
当たり前だ。
礼子の頬にはとっくに幾筋かの涙のあとがついていた。それを拭おうともしない。いくら拭ったってきりがないことがわかっているからだ。
あの日、隆はまるで煙のように、いや本当に煙となって消えてしまった。
息子の事故のあと、私たちは部屋にガスを充満させて、そして百円ライターをカチッと鳴らしたのだ。
ボッ。そんな音がして、そんな音によく釣り合った、まるで魔術師が何かを消した時に立つような煙が立ったのだ。
そしてこの人、隆は消えたのだ。爆発も起きず、私が爆死することもなく、ただこの人だけが消えたのだ。
それが三年五か月前の一月。
この人は本当に、ここがかつて自分の勤めていた印刷会社だということを覚えていなんだろうか。
記憶喪失?と鈴木は思う。いや、もっと不可思議な事態なのだ。
復活、とでも言うべき。