Just還暦だ。なんと清志郎より2年も長く生きちまったのだ。ジョン・レノンより20年。ジム・モリソンより33年。ジミヘンよりジャニスより……。
こんな60年でよかったんだろうか、と考え込んでみたって何の意味もないとわかっちゃいるが、なぜか気がつくと考えてる。もちろん結論はいつだって、こうしか生きらんねかったろ!である。
そうなのだ、こんなふうにしか俺は生きられなかったのだ。
小学校時代はけーこちゃん&公園で草野球。中学時代はくみこちゃん&ロックに出会い、高校時代にドアーズ、そして……に出会った。
大学には放送部に入りたくて行った。放送会社に入れたら入りたいなあ、などという弩がつくぐらい図々しい考えのもとに、ただただ放送部に入りたくて一応、行ったのだった。
で、けつまづいた。
放送部(正確にはT学院大学放送会)になんて入らなきゃよかった。
放送部に入って、本当によかった。
どっちも本音である。あんな堅苦しい会に入らずにもっと柔軟な学生生活を送ってれば、もしかしたらちゃんと大学を卒業できたんじゃないか、とも思うし、でも放送部に入んなきゃあれほどまでに濃密な友人関係とは一生無縁だったんじゃないかとも思うのだ。
とにかく放送部(会)に入って俺は書くことに没頭した。いくら頑張っても何も書けなかったけど。
没頭し過ぎて、それに……との関係に溺れて、大学は2年で辞めざるを得なくなった。
そっからはロックバンドのちパンクバンド。
それから40年、まともな職業とは無縁でした。唯一頑張れた写植という仕事もあっちから去った(世の中から抹消された)んで、ほんとになんつうか、社会的にはバイト時代から今現在までゼロな存在だった。
でもなんでか、まったく卑屈になれないのは、もちろん今の奥さんの存在も大きいけれど、好きなものがはっきりしてたからだね。と、なぜかインタビュー受けてる感じ。俺、これが好きなうちは大丈夫、って感じなのよ。不思議だよね。ほんと、公務員とか政治家とか営業マンとか、もちろんやったって3日と持たなかったってのあるけど、なんなくてよかった。いい加減な仕事万歳って感じ?大丈夫、死なない限り人は生きてけるって感じ?そんなふうにそそのかしてくれる、ナチュラルなパワーをくれる音楽、やっぱ何より輝いてる。