ステージに出たら真っ暗な中にけっこう人の気配があった。つっても十五、六人も入ったら上々と思ってた俺にとっての「けっこう」で、たぶん四十人だ。パイプ椅子の数がそうだったから。
練習スタジオに毛が生えた程度のこんなホールじゃ普通はオール・スタンディングで、パイプ椅子なんて並べない。だったらなんできょうはパイプ椅子が並んでるのか。主催者が「オール・スタンディングなんてムリ!」ってな結論を出したからだ。てなふうに結論する主催者ってのはどんな主催者なのかってえと……
「ついにギターを買っちゃいました!」「ということはやっぱバンドだよね!」
「バンド組んだらコンサートじゃん!」「でもヘタクソ! とか言われるかな」
「そんでイヤになって一発で解散とか」「うわあ、それって最悪。カッコ悪!」
「なら私たちで主催すればよくない?」「いい感じな人たちに出てもらって!」
「決定! それでいこう! でも……」「どんだけ見に来てくれるんだろうね」
「うちはお母さんとじいちゃんと……」「絶対、立ってなんて見てらんないな」
「無理無理! 椅子は絶対必要だって」「お客さんは座りで、初ライヴ決定!」
……ってな、つるんつるんの女子高生なのだった。
なもんで午後二時開演でまだ三時。
ちなみに俺は女子高生でもその同級生でもない。だったらなんでこんな「発表会」なんかに出ることになったのかってえと……
三月、三年続いたバンドが震災のせいで自然消滅した。四月中旬、やっぱ退屈、ってな感慨が俺を包んだ。そんな折、弦を買いに入った楽器屋の壁にメンバー募集の貼り紙があった。そこに書かれてた十一桁の番号をなにげに押した。電話に出た富岡ってやつは「九月のジャズフェスでバッチリ決めたいんすよ、ストーンズ中心で十曲くらいすかね」と力強く語るものの、会ってみればロックなんてろくに知らない大学生だった。でも練習のスタジオ代も正式加入までは他のメンバーで払う、練習する日もこっちの不定期なバイト状況に合わせてくれるってんで、入った。九月のジャズフェスまで半年の暇つぶしってな気分で。
メンバーは、ボーカル&ギターの富岡とベースとドラムが男、キーボードが女、俺が入って五人。
富岡は滑らかで聞きやすい声をしていた。感動なんてしないが悪くはない。ベースとドラムは上手くもなんともないが、相性はいいようでリズム隊としては合格。ただキーボードは……いわゆる、お上手なだけで全然乗れてない、だった。
俺以外の四人はほとんどいつもニコニコしてる。あーあーあそっかそうだねなるほどぉ的空気の中で、俺はほとんど背を向けて弾いてる。甘ったるい平和さにはどうしても馴染めないのだ。
そんな仲良し四人組が練習のあとスタジオで「うんうんそうだね」をやってたら女子高生たちに声をかけられた――あのう、今度コンサートみたいのやろうと思ってるんですよぉ。
俺はすでに駅のホームに立っていた。携帯から富岡が言った――女子高生主催のギグってダメすかね。
何も「お客さん」の俺に訊かなくたっていいだろ、と思いつつ俺は言った――いいんじゃねーの。
きょうのセットリストを決めるにあたり富岡は鼻の穴をおっぴろげた――バンドってのはこーやるんだってか、ロックの王道を見せてやりたいんすよ!
お前がロックの王道を語るか? ってなもんだが、俺は人のバンドじゃいっさい選曲に口をはさまない。結果、セットリストはハタチの富岡の狭い音楽ボキャブラリーをさらに狭めた中から選ばれた。当然ドアーズもジャニスも、控え室にいたあの女を唸らせられそうな曲なんて一曲も入ってない。
アンプ内蔵のリバーブを切ってチャースカチャー、カッティングの響きを確認、コーラス用のマイクを口の高さに合わせて準備万端、富岡に顎を引いてみせると、遅れてステージに上がった俺をのんびり眺めてた富岡がニコニコ頷き返し、次の瞬間、マイクを両手でつかみ、ほんの少し前かがみになり叫んだ。
「ウェルカム! スイート・リトル・エンジェルス!」
ドラムのカウントがかぶり気味に入る。
ああ……と思った。そこまで軽かったか、富岡くん。
やっぱこのバンドは手伝いだけだ。
唐突なチャラさに半拍遅れた一曲目は「ステッピン・ストーン」のピストルズ・バージョンだった。しかしどっからどう見てもジョニー・ロットンってよりデイビー・ジョーンズの富岡。だったらってんで練習でモンキーズ調に弾いてみたら、練習が終ったあと富岡は言った。
「ソーヤさんのステッピン・ストーンって軽いってか、誰のバージョンすか?」
富岡はバージョンにこだわる。こっちは好きに弾いてるだけなんだが、まだつきあい始めだったんで素直に答えた。「強いて言えばオリジナル。モンキーズ」
「えーっ、あれってピストルズの曲じゃなかったんすかッ!」
なんでそこまで驚く。なーんか神経にさわるやっちゃ、と初めて思った瞬間だった。でも俺は冷静だった。「うん、モンキーズ。で、作ったのは」
「へーッ! そうだったんすかッ」富岡は人の話をさえぎり、さらに何度も頷いた。「ふうん、モンキーズだったんだぁ」モンキーズなんて知らねえだろうに、「なるほどぉ」富岡はまたしても頷き、かと思ったら急に我に返ったかのように床に視線を落とした。変なやつ。
そんな逸話をともなった「ステッピン・ストーン」が終われば二曲目はストーンズ・バージョンの「ゴーイン・トゥ・ア・ゴーゴー」だ。前の曲で真っ直ぐ突っ走った空気が横に揺れる。このつながりは悪くない。でもこの曲のオリジナルも、たぶんミラクルズの名前も、富岡は知らないことだろう。でもそんなことを知ったところで、富岡は絶対ツタヤに行ったりなんかしない。だから教えてやんない。なんてことはともかく、二曲終ったところで俺は思った。きょうのギグにはグラモックスは合わなかったかもしんねえな。やっぱストラトにしときゃよかった。
そんな俺の後悔とはまったく関係なく、女子高生とその家族からは盛大な拍手が起こった。ロックなんてぜんぜん、つうか普段はテレビから流れる音楽ぐらいしか聞かないような方々からのでも拍手は拍手だ。俺は素直にあったかい気分になった。なのに。
この俺でさえいい気分になったってのに、富岡は奇妙にニタニタしながら「どうも……」、聞き取れねえだろってぐらい気取った発音でバンド名。かと思ったら突然の「イエーッ!」、あげくには妙な息を吐きながら「じゃあ今度はあれぇなんでちょーっと待ってね」、たらたらアコギのストラップを肩にかけ、それからやっと場末のジゴロみたいな顔で「しぃうっねぶぁっせい……」と歌いだした。ストーンズのフラッシュポイント・バージョン「ルビー・チューズデイ」だ。
俺はマジで眉をしかめた――いつもの「無知だけど好青年な富岡くん」はどこに行ったの?
まあ、しゃあない。富岡の弾き語りに俺はグラモックスをやんわりかぶせていった。ワンフレーズ遅れて小丸ちゃんのキーボードが絡んでくる。一音一音途切れるキー・タッチ。邪魔だ。サビからベースの小野、寺沢のドラムが入ってきた、ところでふと思いついた。いっそ小野のベースに絡んでって小丸ちゃんにも素直に参加してもらって、ベース/ギター/キーボードのコーラス攻撃で行くか? ちょっと試した。やっぱダメだ。急に鍵盤のタッチが揺れだした。富岡も歌いづらそうだ。冒険はやめよう。
グラモックス……我慢だ。
セットリストにこめた富岡の狙いは理解できないじゃない。女子高生にもシンプルに聞けるし、適度にズレてるのも年上の面目を保つには効果的だ。でもやっぱグラモックスと……
着席組の女子高生と父兄の皆さまの頭の向こうに俺は目をこらした。やっぱ、いた。壁に寄りかかってしっかりこっちを見てる。真っ黒なロングヘアーにブラックスリム。ニューヨークパンクだ。パティ・スミスだ。
……あの女には退屈過ぎる。
どうにかしようぜ、グラモックス。でもどうにもならない。指がまるで手癖だけで動いて、音は時間みたいに流れるだけだ。意識だけはバンドを離れていく――あの女は、俺がジャニスやドアーズが好きなのをどうして知ってたんだろう。
いきなり質問が飛んできた時、俺はあの女をきょうの出演者だとソッコー無意識に決めつけた。で、面倒臭えこと訊きやがる突拍子もない変なやつ、と思った。でも今にして思えば、こいつ――今ステージの真ん中で、どこで見てきたんだ? ってなへなちょこロッカーを演じてる富岡ちゃんの知り合いだと考えたほうが自然なような気がする。あいつはこいつの知り合いで、そんでこいつから俺の音楽の好みを聞き、自分と似たような趣味だったもんで話しかけてきたんだと、そう考えたほうが。
だがしかし……こんな、今まさに超シット野郎に成り下がってニコニコ得意げに「ルビー・チューズデイ」なんぞ歌ってるような軽率な男にあんな気の利いた知り合いがいるとは、やっぱ思えない。
そうか。やっぱそうか。だよな。
あの女は単純に純粋に、この俺に興味があるのだ。そんできょうここにいたるまでに、なにげに俺の音楽的嗜好など調べ上げたのだ。で、やっとさっきああやって話しかけてきた。