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静かなとこで一服したくて外に出た。控え室に戻るとメンバーはもうステージに行っちまってて、真っ赤な塗装がボロボロはげたベンチには俺の真っ青なテレキャス、正しくはずっと借りっぱになってて、あれ、これってすでに俺の?ってか、なんでテレキャスがこんなに安っぽくラメラメなんだよってな、それにしても「グラモックス」ってどんな造語よ、まさかグラムロック縮めたつもり?ってなダサダサかつ軽率な銘がヘッドに刻まれた、弦高50メートル、ひと目でまがい物判明、こんなのがテレキャス名乗っちゃマズいだろ、っつう一見かなり恥ずかしめな金属六弦電気楽器を、見たこともないダボダボ革ジャンの肩に、数日前から某事情でそうなっちまった俺と同様の真っ黒な毛髪、すぐ下には黒々真ん丸な薄暗がりの猫の目、足元はくるぶしまでのショート黒ブーツ、短く見積もっても十センチは裾まくり、なのにまだ余ってるブラックスリム、身の丈百60センチ弱ってな、すべからくブラッキーなお嬢が膝に乗っけてて、そいつは俺を見るなり、
「チープ・スリルとドアーズのファースト、どっち?」
で、バラロレブピョーン……変なふうにギターを鳴らした。
『チープ・スリル』は、テキサス産のラリラリ・ロンリー・ガール、ジャニス・リン・ジョプリンを一躍スターダムにのし上げた1968年のアルバム。ドアーズのファースト『ザ・ドアーズ』はその1年前、1967年発表の、ベーシストのいない不安定編成のこのバンドを全世界に飛翔せしめたアルバムだ。
つまり女が口にしたこの2枚は今から遡ること40数年前、俺なんかまだ精子にもなってない頃、つうかマイ両親さえ小学生だった頃に世に出た、とっくにカビがはえててもいいような代物なんだが、冗談じゃない、一音一音がいまだにとれたてのカツオ並みにピチピチな、ヘタに近づいたらヤバいぜってな、いっそ狂えるもんならこんな感じに狂いたいもんだってな、超最高に生々しく熱い魂が息づく2枚だ。そんな2枚にどうしたら優劣がつけられるってのか。面倒くせえ女だ。
「それ……」
人差し指でギターを指差し、返した親指で自らを示した。簡潔な言葉と鮮やかな手首の返し。実に俺っぽい。
「あ、ごめん」
女がネックを突き出した。黒目勝ちの瞳が俺を見た。声のトーンが微妙に落ちて、面倒な質問の時よりいい声になった。
この女もきょう出るのかね。この声だったらボーカルだ。あの指使いじゃ少なくともギターじゃない。でも高校生には見えない。富岡みたいにスタジオで誘われた口だろう。
でも……きっと思ってんぞ。そんなギターでステージ?チューニングすぐ狂わない?てか、情けない音ぉ。思っても口にすんなよ。
「それあんま鳴んないね」
言いやがった。
確かにこいつは鳴らない。ビンビンのビンってよりはシャンシャンのシャンだ。で、青ラメ。で、そこだけストラトってなでかいヘッド。挙句に誰も聞いたことないような「グラモックス」。極めつけに弦高100メートル。だがしかしだ。こいつ、実はすごく楽しいやつなのである。だから誰のだったかも忘れちまうぐらい借りっぱになってる。
女が楽しそう俺を見上げる。「それに弦高、タカッ」
わかってる。シールドをそそくさと束ね、エフェクターをギターケースから引っ張り出しながら女をちらっと見た。「借りもん」
「ふうん、そうなんだ」
いやいや、そんな言葉でこいつを貶めちゃならん。まっすぐ女に向き直り、俺は上品にほくそ笑んだ。「でもたまに狂いだす」
女が片方の眉を上げて俺を見た。
ま、そういうことだから。俺は再びほくそ笑んでから背中を向けた。ステージに出るドアに手をかけたところで、背中に声が飛んできた。「ねえ、どっち! チープ・スリルとドアーズのファースト!」
急いでんだっての。イラつきながら振り向いたら、女の目がまっすぐこっちを見ていた。はたと気づいた――富岡なんかよりこの女のほうがよっぽど気が利いてるかもしんない。別に一曲ぐらい飛んだっていいか。
ふむ。俺は考え始めた。『チープ・スリル』と『ザ・ドアーズ』か……。
ヤニ色に染まった壁にぼんやり目線を泳がせた。どっちと答えても違う。なぜか。どうしても。
女はじっと答えを待ってる。無表情な視線がこっちを向いてる。子供じゃない視線。彩子とおんなじぐらいには女な視線。
俺の頭にぽっかり浮かんで消えない答えは、質問の答えにはなってない。でも俺はそれを口に出した。
「ストレンジ・デイズ!」
ドアーズのセカンド・アルバムだ。驚異の。
ふうん……って感じに女は頭を揺らした。
(全46回)