交番の小さな建物を左に見ながら入っていった公園は、あっち半分だけ芝生になっていた。何か理由があってそうなってるんだろう。どうでもいいが。ジージャンを脱いでTシャツ一枚の俺の横を、女は革ジャンを着て歩いてる。ぜんぜん暑そうにしてない。八の字に開いた額ははっとするぐらい真っ白で、そこだけ別の空気に包まれてる。ふいに、でかいため息が出た。
「おっきいため息……。どうしたの?」女が言った。
「いや、なんだ……」
俺の顔を、ちょっと頬を歪めて女は覗き込んだ。
「きみはサイケデリック・バルーンズだけを見に来たの? きょう」
俺の質問を聞くと、女はすっと前を見た。
「サイキック・プルーンズ」
「サイキック?」
「ソーヤさんの手伝ったバンドはサイキック・プルーンズ。で、わたしは奈美恵。奈落の美しさに恵まれた奈美恵。……いくら手伝いでもバンド名ぐらい覚えたげたら?」
やっぱ違ってた。何か微妙に違ってるような気はしてたのだ。でもこれは富岡が悪い。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」や「アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア」なんて演るバンドがサイキックなわけがない。そんなぜんぜんつながらいないものを覚えてられるわけがないのだ。人間の記憶なんてそんなもんだ。響きが似てただけでも上等だ。
で、こいつは、奈美恵。
奈落って感じじゃぜんぜんねえけど。でもとりあえずは、ジュリアだのシャインだのフラワーだのってんじゃなくてよかった。マジで。
シャインとフラワーってのは高校の時の同級生に実在した名前だ。シャインは紗音、フラワーは風羅和。マジ気の毒、みんなそう言ってたんだが本人たちはそれほど気にしてなくて、二重にびっくりだった。
フクロウ顔の「シャイン」。よもぎ頭の「フラワー」。ストーンズとビートルズをやる「サイキック・ブルーズ」。なんでこんな時代に生まれちまったのやらと思わなくもない。
てなことはともかく、俺は未解決問題を再提出した。
「奈美恵さんはきょう、サイキック・ブルーズだけを見に来たんすか?」
「だから……プルーン。サイキック・プルーンズ」
「超自然現象の健康食品かよ」
「精神的果実だってさ。だったらもっとわかりやすい英語あるじゃんって言ったんだけどさ。ソウルフルーツとかすればソウルフルとフルーツがダブってかっちょいいし。でももう決めちゃったからって、トミ――富岡」
「やっぱ富岡の知り合いか」
「トミってチャラく見えるんだけどさ、けっこうあれで頑固なんだよね。でもまあいいやつだから、バンド名ぐらい覚えたげて。お願いします」
言って奈美恵は両手を合わせてペコリ頭を下げた。まるで身内だ。
「つって、さっきはバカにしてたよな、打ち上げの予約」
「バカにしたってか、なんか寂しくって。だってまるでサラリーマンなんだもん。でもまあそれだって、いいやつだってことなんだけどね」
「いいやつはいいやつなんだろうけどな。でもやけにかばうんだな」
「テレビで歌ってるのをロックだと思ってるようなのばっかでさ、そんなクラスの中では気の利いた存在だったのよ、あれでも」
「なるほど」
ちょっと見、まったく噛み合わなそうな二人の接点に俺は納得、頷いた。富岡と同級生なら俺より二コ下、ハタチだ。
「それが打ち上げの予約だなんてさ、まあトミなら言いそうだけど、かつての戦友としては、あーあって感じなわけですよ」
奈美恵は空をあおいだ。なんとはなし俺もそうした。毎日お祭りみたいに人で溢れかえってたキャンパスを思い出しながら。
「大学が悪いんだわ」
「大学が?」
「二年しかいなかったけど、じゃあ行くぞーとかって酒ばっか飲まされてたわ。予約しとくのが下級生の役目でな。あんたらより下級生なら未成年だろっつの」
見上げた先は街路樹で隠れていた。ここはでかいケヤキの並木道なのだ。秋になるとこの鬱蒼とした緑の下に、ジャズやらロックやら和太鼓やら弾き語りやら尺八やらクラシックやら、あらゆる音楽が満ち溢れる。
奈美恵が言った。「まるで社会人の予備校だ」
そんな一面に染まり過ぎるのが富岡タイプ、自由さだけに染まり過ぎるのが俺タイプ。てな気質はロックの捉え方にも出てて、素直に社会人への道を歩む富岡はロックを音楽の1ジャンルとしか思ってない。広がらない1ジャンルだ。だからあんな選曲になる。イメージにもこだわるからあんなバンド名にしちまう。サイキックなんて名乗ったらピンク・レディでもやるべきだ、ってな発想にはならない。そのほうがよっぽど女子高生の見本にもなるのに。