小説「彼女と黒猫 in Strange Days」11 | 愛と平和の弾薬庫

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

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 きょうから新しい仕事に入る。

午前9時、二人ひと組みでコール&レスポンス社の契約したタクシーに乗り、あらかじめアポが取れている個人宅に向かう。その家に着いたら二人で上がり込み、一人はその家のラフ社製テレビのとある部分をいじくる。正しくは「検査」する。検査してるあいだ、もう一人はその家の人に検査の趣旨と内容を説明などしつつ、話し相手になって間をもたせる。お茶は極力辞退するが、コォシィぐらい飲んでったらいっちゃとか言われたら無理には拒まない。茶請けも同様。

最終打合せ的な約一時間の説明会で、その場を仕切ったC&R社の三十ちょい前ぐらいのお兄さん――小高氏は面倒臭そうに早口で言った。「そのへんはテキギってことで」

検査で問題が見つかることはほぼ100パーないらしい。

「問題の箇所、もしくはテレビ本体を交換しなければならないのは、まあ1000件中2、3件というところです」

面接の3日後に招集、開催されたその説明会で、俺はなぜか一番前の中央の席に座らされた。座る席を指示されたのは俺だけだ。歳の割りにはチャラくなくて、言葉づかいもそれなりのようだし、まあまあ使えそうだから採用はしたが、なんかいまいちボンヤリしてそうな気配もあるからしっかり叩き込め、とでも言い含められてきたんだろうか、顔つきや話しぶりから見るにボンヤリ度では俺と大差なさそうな小高氏は何かしゃべるたびにいちいち、わかったな、とでも言いたげに俺の目を見た。

よーくわかった。このバイトはぶっちゃけ、「一応見に来たし、そんで大丈夫だったからさ、安心して使ってね、このテレビ」と言って回るだけの仕事なのだ。

案の定、後頭部にしっかり寝癖の小高氏は言った。「検査はこの通り、プラスドライバーの使い方さえわかっていれば誰にでもできます」で、続けた。「ただそのお宅お宅でテレビが置かれている場所やその周囲の状況、それにDVDやブルーレイ、その他カラオケ等々、つながれている機器の数で二十分で終ったり1時間以上かかったりもします。のでその一軒が終るまで、次の家には決して到着時間の電話を入れたりしないよう、この一点だけは厳守してください」

トラブルの種を摘んで歩いてるっつうに、新しい種をまくなってことだ。

 てな検査に市内なら5、6軒、市外だったら2、3軒回る。小高氏が「拠点」と言ってたC&R社への帰還はだいたい午後六時。戻ったら「どのお宅も異常ありませんでした!」つって依頼宅のハンコをもらった書類を出して終了。実働8時間で日当1万。残業は1時間1500円。体力を使うでもなしでこの額は中々ないから、かなり希望者があったらしい。俺が採用されたのはこの見せかけの丁寧さ、それにたぶん、この割のいい仕事に際し、一週間前に頭を黒く染め直しておいたから。

面接を無事通過、説明会に来てる中に茶髪は一人もいなかった。でも、揃った面子を眺め回しても「染め直しといてよかった!」ってな感慨はまったく湧いてこなかった。染めるべき箇所のない、もしくは今さらそんな、ってな年長者ばっかだったからだ。

ドライバーの使い方さえわかってりゃよく、狭いタクシーの中でほとんどの時間を過ごす、つまりはかなり楽勝な仕事で、一番の苦難はしっかり熟成された口臭との戦いかもしれない、と俺は思った。



 C&R社は街の中心部、どでかいビルの10階にある。そこに8時半には入んなきゃなんないから、日曜だってのに午前7時、朝メシなんて食ってる。三人で。 

 「どこに行くかはまだわからないんだ?」

言って彩子は奈美恵のほうを見た。で、ニターッ。

奈美恵は笑いもせず彩子のほうも見ず、ただひたすら食ってる。浅漬けキュウリ、白メシ、豆腐と油揚の味噌汁、白メシにのりたまかけてガツガツ、味噌汁、細切り昆布の佃煮、白メシ、味噌汁……順番にグルグル食ってる。

 「ああ。どんなおっさんと行くのかも、どんだけ遠くに行くのかも、全然。行ってみなきゃわかんない」

答えつつ俺も奈美恵を見る。俺に向かっては微笑んでくる。ね、大丈夫でしょ、とでも言いたげな顔。

 大丈夫なのはわかった。でもやっぱ、いきなり俺にだけ微笑まれたりするとドキッとする。思わず彩子の表情を伺う。ん?って顔で見つめ返される。で、何がどうなってんのかさっぱりわからんが、とりあえず本当に大丈夫なのだ、と再認識する。

 「明日の朝は卵ぐらい焼こうか」

 新しい仕事を記念してみたいに、夕べ彩子はそう言った。でも小高氏の話じゃ、実際に仕事をしてるより車に乗ってる時間のほうがずっと長いらしい。仕事に30分、車で一、二時間って感じに。

 「ほとんど車に乗ってるだけみたいだからいいわ」

それに彩子にとっちゃたまの日曜なのだ。本当は〈駅でパン〉でまったくかまわないぐらいで、彩子には寝てて欲しい。そのほうが俺にしたって気楽だ。でも彩子はそういうのを嫌う。いつも、どうせ昼寝するしさ、とか言って布団から行ってらっしゃいは絶対しない女なのだ。夕べもこう言った。

「無理に寝てるより〈眠くなった時に昼寝〉ってほうが体にもいいんだって。それにさ」

 「それに?」

 「きっとこの子に起こされちゃうって。こんな早くから寝ちゃってんだもん」

で、ニターッ。奈美恵を見た。20回以上、でも50回にはまだちょっと遠い、おそらく37回目ぐらいの、ニターッ。

 まったくマジでよう、と37回目ぐらいで俺は思った。何がそんなに嬉しいんだ? で、37回目ぐらいで実際にその言葉を口に出しそうになった。37回目ぐらいでぐっとこらえた。

もし、こらえ切れずに言っちまったらどうなるんだろう。現状維持以外ないとわかっていても、いや、わかってるからなおのこと、どうしてもそんなことを考えちまう。で、二人で風呂に入ってる時、頭の中でシミュレーションしてみた。