コタツが出ていたから冬だったんだろう。三月ぐらいだったかも知れない。大家のおばあちゃんからにこやかにタロのことを訊かれた直後ぐらいだったと思う。タロにいっちょ前な兆候が現れた。
種存続のために、どんな生物にも発症するアレである。
仙台の中心地でしか働けない職種。当時はまだ車の免許も持っていない。すなわち田舎の一軒家に住む予定などまったくない。この兆候によってもたらされる本能的ニャン家族計画を実行するわけにはいかないのである。まったくの人間の身勝手ではあるがしかしどうしようもない。言葉は悪いがタロの「完全ペット化」をこれ推し進めなければならない、という仕儀と相成った。
黒い旅行バックに詰め込まれ、柏木からバスで仙台駅まで、仙台駅から東仙台車庫(市営バス車庫)まで再びバスで、そこからどうにかこうにかタクシーを調達して岩切の動物病院まで。
医者は俺に、そばで見ていなさい、と言った。太い注射をされ、その部分にメスを入れられ、ポロンと銀杏様の物を取り出され、あとを縫われ、をしっかり見せられた。医者のポリシーなのだろうと思った。
5000円で、タロは「永遠の少年」となった。
下半身麻酔は夜になっても覚めなかった。部屋に帰ってきて、なんだか俺おかしいぞおやじ、とでも言いたげに上半身だけで動き回ろうとするタロ。
次の朝、コタツの中にタロのウンコがあった。通常通りの量だった。本人は元気に、いつも通りの活動を再開し始めていた。
コタツの中のウンコを見つけた時、ごめんな、という言葉が口をついて出た。でもしょうがないんだ、と言いそうになってひとり口をつぐんだ。
俺にとってそれは「切なく悲しいウンコ」だったけれど、タロにとってそれは「無念のウンコ」だったに違いない。夕べの、上半身だけで動き回ろうとしていたタロを思い出しながら、なんとなしそんなようなことを思った。
やられた……。