タクシー運転手 I さん談――
タクシーの運転手になったばっかの頃は、とにかく道なんて知らなかったからねえ。
生まれ育った街じゃあるんだけどさ、個人の行動範囲なんて知れてるでしょ。
だからもう、まっすぐってか、そこに行く最短距離、知らないからさあ、
かなり余分に稼がせてもらってたような気がする。
それに輪ぁかけて、お客さんのほうも転勤してきたばっかりだったりすると、もう最悪。
素人もそんな経路とらないだろうってな大回り。
わかりやすい道だけ使って、ベテランっつーか、普通の運転手なら2,500円ぐらいで行けちゃう所、
4,000円も払わせたりしてたっけ。
それから4,000円ちょっとで行ける所、まあこれは単純に○○ヶ丘と××ヶ丘の記憶違いだったんだけど、
6,000円以上メーター上げた時は、さすがに2,000円バックしたけど。
でもよく2,000円で勘弁してくれたよなあ。
まだまだいい時代だったんだ。
そんなある日ね、ポツポツって感じで雨が降ってたのよーく覚えてるんだけど、
かなりいい感じに酔っ払ったおじさんが一人で乗ってくださったのさ。
「はいどーぞー。……どちらまで行きましょう?」
「おぎのぉ……」
「沖野ですね」
「はいぃ……おぎのまでぇ」
今だったら、長崎屋(スーパー)通って?それともマクドナルド?って
4号線バイパス上の目印をお聞きしてから出発、となるんだけど、
当時の俺はそんなの知らなかったから、とにかく沖野に行くバス路線を行きゃあいいんだろうって、
で、どんどんどんどん、まっすぐ道なりぃ~ってな感じで突っ走ったさ。
で、そろそろ沖野。
まあ、訊くよね。
「そろそろ、どこら辺で曲がりますかあ?」
したら、
「ゴーゴー!」
「まだまっすぐですか?」
「ゴーゴー!」
「はい、ゴーゴーですね」
「うんにゃ」
とにかく、どっからどこまでが沖野かなんて知らなかった(つうか今でも曖昧だけど)から言う通りにしたさ。
でもちょっと心配になってくる。
「まだ、まっすぐでいいですか?」
「ゴーゴー!」
「はあ」
もうその頃には、いくら新米だって他の地名の付いた町に入っちゃってるっての、わかってる。
ここはもう六郷小学校だし……。
しかしゴーゴーなのだ。
この人は「沖野の方角へ」というのを「おぎの」と表現したに過ぎないんだって、
そんなふうに勝手に自分に言い聞かせてね、とにかくゴーゴー!
で、沖野の町を過ぎて走ること数キロ、海沿いの「塩釜亘理線」っていう縦貫道路にぶち当たっちゃった。
目の前には赤い矢印が左右を指してるだけの黄色のでかい看板。
その向こうは松林。――そしてそのまた向こうは太平洋。
まぬけだねえ、「ここはどちらにぃ……?」なんて訊いた俺。
はたして、おじさんの答えは、
「バック!バック!」
沖野小学校に戻った時、メーターは6,000円。
普通なら2,000円で来れる所。
青くなったりはしなかったけど、さすがに気が引けて、
「すいませ~ん、私のまずいところもあったんでぇ……」
って金額こそすぐに出さなかったものの、値引きを匂わせたのさ。
そしたら、
「いんや、6,000円でいいのかな」
と鷹揚。
おじさんはしっかり千円札六枚を俺に握らせて、雨の夜空を仰ぐようにのんびりと歩いてたっけ。
ルームミラーに映ったその姿が見えなくなるまで、俺ものんびりその場に佇んでたってわけ。