しかしやめよう。父親がどうのこうのなんて、いい歳こいて言ってていいわけがない。自分です。すべての責任はこの努力知らずの自分にあります。思い返せばハタチやそこらの頃、ついに一人暮らしを余儀なくされた頃の私は、なんだか真夜中の季節にいたように思います。真夜中の日々から抜け出すためにはこれしかないのだ、と思いきわめ、ただ闇雲に毎夜毎夜ギターをかきむしっていたのであります。そして騒音雑音をつなぎにつないで、そこに何らかの価値を見出そうと、ただただかきむしり続けていました。
しかし「かきむしり」はやはり「かきむしり」以上でも以下でもなく、やがて訪れる「別の日々」を迎えるまではギターはただ単に内に向うのみの幼い自我の捌け口でしかなかった。聞かせるための音楽の創造とは正反対方向へ向かうだけのどす黒いベクトルを形にすれば俺の黒い安物のテレキャスターになっただろうなあ。駅前、路地裏の質流れ専門店で買った、19,800円の、弦高5ミリのテレキャスター。5ミリはオーバーだね。それにディストーションばりばりかけての日々。