一番古い便所の記憶は幼稚園あたりに住んでた家の便所。
二階建ての大家の家の一階の、台所もついたまったく独立した形の、つまりは二階建ての家のその部分だけアパートになっているような部屋に俺とおふくろは住んでいて、玄関を出たすぐ隣りに便所はあった。工事現場にあるような、簡易トイレをちょっと立派にしたような便所だった。
よその家がどんなふうにできてるかなんて知らなかったから、家の内部に便所がないのを「やだなあ……」とか思ったことはなかったけれど、それ以前にとにかく、いったん外に出てから便所に行くのはいやだった。
俺はとにかく寝小便小僧で、小学校高学年まで布団の中でやらかしていたんだけど、この「外に行かねばならない」というところに深い原因があったのかもしれない。
妹が生まれると、その間借りに近い部屋から出て、そこから歩いて2・3分の一軒家に借家した。その家の便所がよく夢に出てくる便所だ。便器の高さの所と立ち上がった所に小さな窓がある便所。立ち上がったところの窓から隣りの、おばさんが一人暮らししてる家の小さな庭が見えてた。
居間から便所に通じる5m弱の廊下の床はギシギシ言って、ちょっと傾いていた。風呂にはよく便所こおろぎやナメクジが出てきていて、台所の勝手口のそばにはもぐらの穴が開いてた。小さな庭には渋柿の木といちじくの木。渋柿は秋になると濡れ縁に干されて、皮の硬い干し柿を冬によく食った。いちじくの木にはやっぱりここにもナメクジ。いまだにナメクジには身の毛がよだつ。嫌いと言うより、怖い。絶対目にしたくないもののひとつ。塩をかける手が震えてた。なのにウルトラQのソフトビニール人形を買ってくれると言われた時、何故か即座にナメゴンを選んだ俺。人間、わからない。
今でこそ、玄関を入るとすぐ、居間のすぐ向かいにトイレ、なんて家があったりするけれど、あの頃は考えられなかった。家の一番奥に便所はあった。
便所がトイレに、すなわち水洗化されたのはたしか小学校4年あたりだった。ものすごくうれしかった。ほんとにウチが「水洗トイレ」になるの!?すごい!やった!ってな感じ。
話は変わるが、盛岡のおふくろの知り合いの家に泊まりに行った時、そこの便所がすごかった。
その家もかなり古い二階建ての家だったんだけど、便所は外にあってうんこをしようとして驚いたものだ。便器がなかったのだ。木枠に穴。落ちる!と思った。結局、目的を果たせなかったような気がする。
あと、某印刷所(仙台から電車で30分東へ)の便所。
仙台はとっくに完全水洗化された時代に、その会社のトイレが汲み取り式だった。うんこがすぐそばまで盛り上がっていて今にも肛門に突き刺さってきそう。こんなに臭かったのか!と記憶を新たにさせられた。早々に辞めた一因にこの便所問題も含まれてたかもしれない。
現代の、ほとんど全国的に水洗化された日本に住む青少年ならびに子供たちには、こういう記憶は残らないんだなあと思うとなんだか不思議な気分。けっこう長く生きてきたんだなあ。
なんだかお尻に刺さりそう、なんて思うのは、もはや古い人間なのだ。