会話の終わった部屋の中でひとり、怒りとも悲しさともつかない感情におおわれて、俺は何かをまさぐり寄せようとしていた。午前十一時、今なら500キロか600キロ南に住むおふくろは家にいるはずだ。確かめようか。しかしそれは今の屈託を解消させてくれるとは思えなかった。ふがふがの話の内容からして俺が彼の息子であることは間違いがないように思われたからだった。スズキってのが俺の本当の父親なのかい?と訊いたらきっとおふくろはあっさりこう言うに違いなかった。そうだよ、美沙とあんたはおとうさんが違うのよ。
重大な秘密がばれたところでいちいちじたばたしない。おふくろはそういう女なのだ。過去のことで泣いたりわめいたりしない。
歩きに出ることにした。音楽を連れて。いつものようにそうすることがまずは必要なのだ。
外歩きの格好に着替えると俺は、いつもならどの音楽にしようか少なくとも五分は迷うところをまったく躊躇なくひとつの音楽をえらんでウォークマンにセットした。二十年来の友人が最近録音・完成させたものだった。
その声が必要だった。他のどんな音楽でもない、トモイチが情熱の限りをこめて弾き歌う、その音だけが必要だった。ジョン・レノンでもなくジャニス・ジョプリンでもなくイーグルスでもボブ・ディランでもない、トモイチの声だけが必要だった。
スタートボタンを押すとやがてCDのはじまりを知らせるギターのアドリブがイヤホンから俺の耳へと短く流れこみ、それがフェイドアウトしていった直後、トモイチの声がいきなり飛び込んできた。俺は生き返った。そんな気分に満たされた。
ぼんやりした頭でどうしてもたぐり寄せたかったものが明らかになっていた。怒りたいような怒りたくなんてないような、泣きたいようでやっぱり全然泣きたくなんてない、屈託してるんだが別にむしゃくしゃしてるわけでもない、そんなうやむやと曲がりくねった鈍重な嵐のような気分をどうにかしてくれるものを俺はたぐり寄せようとしていたのだ。
トモイチの声の中にそれはあった。俺はトモイチの声に支えられていた。
ウォーキング用のシューズを履いて暗い玄関からマンションの廊下へ、エレベーターからエントランスへ、そして晴れ渡った空の下へ、そんな数分のあいだに俺は決めていた。必要なもの。いらないもの。
空はいわゆるさつき晴れというやつだった。そして風も五月のそれで、強烈だった。
トモイチのバンドが力強くビートを、リフを、声を刻んでいた。風の中を飛んでいた。
自分の足で歩きはじめたつもりだった。でもその一歩一歩の力強さが、本当に自分のものなのかどうかはわからなかった。
(つづく)