テロリスト達の攻撃をアメリカ大統領は戦争だと言うが、いつどこで発生するかわからないテロは戦争と言うよりは「空気」のように思える。もしくは「見えざるパワー」。微粒子のような思いがひとつの意思のもとに形を取り始め、見えたときにはすでに、少なくない人間が死傷している。これに国単位で対抗するのは筋違いなんじゃないのか。空気を変えようとしない限り、小さな火はいつまでもくすぶり続け、かならず大火を引き起こす。
アメリカやイギリスのあの国家元首たちも、もしかしたらそんなことはわかっているのかもしれない。ただ、国家元首としては「戦争だ」、「屈しない」という言葉を発するしかしょーがないのかもしれない。彼らにはブレインがいないのだ。国家元首の座に彼らを居座り続けさせようとするブレインしか。ブッシュもブレアも、いわば旧時代的な考え方しかできないブレインばかりを抱えた集団の頭目でしかないのだ。
アメリカもイギリスも、この頭目を失脚させることで、そっくり古臭い体質の集団を滅却させなければいけない。新しい集団を国のトップに据えなければ何も変わらない。
アメリカやイギリスが、空気を変えようとする人間を大統領や首相に選んだ時、すでにきっと世界は変わり始めている。そしてその時には、きっと俺たちも変わっているのだ。
空気――何に抗うでもなく自分達も生きていけるのだ、世界は平和なのだ――そう認識できる空気。まずは個人対個人という部分から始まるのだろうし、それはけっこう難しいことなのだけれど、どうだろう、空の色が変われば人の心も変わっていけるんじゃないんだろうか。