あれから6年〜3.11【再編集】 | ナナイロ日記

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キャンプ、スノーボード、モータースポーツ
日常の事など色々と綴っています。

こんにちは
 

東日本大震災から明日で6年が経ちます。
 
去年、宮城県名取市という所に
引っ越してきて

今まで見えなかったものが
色々と見えてきました。
 

 


*長くなります。興味のない方はスルーしてください。




この名取市にはまだまだ仮設住宅が沢山あること

特に被害が大きかった閖上地区は
復興に至っていないこと


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それでも少しずつ前に進んでいて
閖上朝市が再開されたり

新しい施設ができたり
宅地もようやく出来てきて、建設も進んでいます。
 


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閖上浜には震災前まで防潮堤がありませんでした。
 
今はその防潮堤が出来て 
宅地も盛り土をして、建築が進んでいます。


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名取市の人口は約80000万人

その1割、8000人が閖上地区住人

さらにその1割、800人が
津波で亡くなりました。
 
 
 
 
 
3月11日 午後2時46分
 
私は会社でデスクワークをしていました。 
ちょうど出かけて帰ってきて15分後の出来事。
 
2日前にも大きな地震があったので 
その程度かな?と思っていましたが
 
どんどん揺れが強くなり 
周りの物が倒れはじめ 
危険を感じて机の下に隠れましたが
 

 
ビルが崩壊するかもしれない・・・
 
お腹の中にせっかく赤ちゃんが来てくれたのに
私は死んでしまうんだな・・・

 

 
そんな事をあの揺れの中で思っていました。
 
すごく、すごく怖かった。 
生まれて初めて死を覚悟しました。
 
 
 
 
地震の揺れが少し落ち着いてから 
近くの小学校へ一時避難
 
その後、帰宅するのですが 
家に帰るのも大変で街中パニック
 
妊娠6か月の体では自力で帰るのは困難
ヒッチハイクをして何とか帰宅しました。

 
 
 
 
なぜ今、震災のことをブログで書こうと思ったのか?
 
今の被災地の現状を伝えたかったから。
 

石巻や女川など大きな港町のことは 
全国的にも伝えられているかと思いますが
 
閖上のような小さな港町は 
あまりピックアップされません。
 
 
 
6年という時間が経ってしまうと 
その時の記憶も風化されていってしまう
 
事実、私も震災に強い町に住んでいたこともあって 
1年後は普通の生活をしていました。
 

沿岸部で津浪の被害にあった方々
原発の被害にあった方々に比べたら

全然幸せで

確かにその時は当たり前の生活が
当たり前に出来ない苦労はあったけど 
数か月で普通の生活に戻っていました。

 
 
でもこちらに引っ越してきて
あの日からいつもの生活が奪われてしまった人たちが
まだ沢山いるという事に気づかされました。
 
 
 
宮城県は宮城県沖地震が来ると言われたいましたから 
地震に対しての対策は出来ていたと思いますが
津波の対策までは出来ていませんでした。
 
誰もが津波で大きな被害にあうなんて 
思ってもみなかったと思います。
 
 
 
 
3月11日は県の条例で

 

「みやぎ鎮魂の日」
 
と定められています
 
明日は被災地各地で追悼式が行われると思います。
 
私も犠牲者の方々を悼み 
一日でも早い復興を願いたいと思います。