なんてことない | actress美智子の自由な日々

actress美智子の自由な日々

日常を気ままにつぶやきます。
好きな花、好きな服、お芝居、出会った人たち、美味しかったもの。
ときどき、カウンセラーとコーチとしての顔もお見せします。

私は台風で危機感を感じたことって殆どないのだが、どうしてなのか分かった気がする。
子供時代の風雨や雪の体験があまりに過酷なので、大人になってからのそれらは『なんてことない』と感じてしまうのだと思う。

私の生まれ育った実家は、その村落では代々続く大旦那様の家だったと聞いている。家屋もとても大きいし、庭も敷地内にビニールハウスを一個建ててもまだなお様々な樹木や花が生い茂っていた。米蔵もあった。実家の写真を見たとある友人は『みっちゃんの家の庭、森!』と言ったほどだった。でもこう言うのって、田舎の方ではそんなに珍しくなくて、田畑を含めて途方もない面積の土地を持っているのは良くある話でもある。

そこで本題だが、実家の家屋はとても古かった。所謂茅葺き屋根と言う作りで、囲炉裏があったりかまどがあったりした。現代において使われている機能もあれば、寂れて使われていない機能もあった。かまどでは、自家製の味噌を作っていたし、お正月につくお餅の餅米はそこで炊いた。文章で書くと面白そうだが、これらは結構過酷な作業で、重労働をする(させられた)母の姿に子供の私は何度も心を痛めたものだった。

屋根は補修されてはいたが、茅葺き屋根は大変珍しいので、新潟市が市の重要有形文化財に指定させてくれと、何度も頼みに来たこともあった。『豪農の舘』いわゆるそんな感じ。                                                                                                                                    (頑固者の父がそう言う話は全部断ってしまったけれど)

こんな風に書くと『へぇ、すごい』と思われる方もいらっしゃるかも知れないが要は『大変古い』家だったのだ。

現代の家屋に住んでいる人には想像が出来ないかもしれないが、風雨や雪が家屋のすき間から吹き込んでくるようなこともあった。凄まじい風のうなり声や吹雪の音に怯えながら眠ったこともある。暖は石油ストーブと炬燵でとった。それでも体は寒かったし、手足は冷たかった。『こんなの家の中も外もおんなじじゃん!』等と言って、母を傷つけたこともある。(反省して後悔している)母はいつだって私を守って温めてくれた。

私は東京に来てからは、ごく普通の一般の家屋にしか住んだことはない。屋内は快適だ。台風が吹いていようが、大して風の音なんか聞こえない。雨粒は吹き込んで来ない。屋内はエアコンが効いていて快適で温かだ。
だから、子供の頃のあの過酷さに比べたら、私にとってはこんなのは、なんてことない。

冬場は子供の足で片道45分かけて吹雪の通学路を歩いた。遭難してこのまま死んじゃうんじゃないかと思ったこともある。

だいたいが、ニュースが騒ぎすぎだなあと思う。台風って、ちょっと激しい雨、私にはそれくらいの認識。
東京での『雪です!』と同じくらい大袈裟だなあと思ってしまう。今年の2月の雪の日の時だって、私はご招待頂いたコンサートに友人と渋谷に出掛けたのだが、渋谷の街にはいつも通りと全く変わらず山ほどの人がいた。
ニュースが騒ぐほど一般の人々は困ってはいなかった。むしろ雪を楽しんでいるかのようにも見えた。
まあ、過ぎるほどの警告を鳴らすのがニュースの役割でもあるんでしょうけどね。

だから、なんのかんのと言っても、東京は(私はたった今の台風については東京のことしか分からないので)今回の台風も半日くらいで通りすぎて行くと思っています。
この安心感は実は雨や風や雪に脆弱と、言われている東京の鉄道を、私は実は実感としてはメディアが言うほどにはそんな風には感じておらず、鉄道マンやタクシー会社の方々を信頼しているのだ。と言うことにも、今、この文章を書きながら気がついた。

その証拠に(?)私の沿線の鉄道は殆ど止まったことがない。

各交通網の皆さん、本当に良くがんばっていらっしゃいますよね。(タクシーの運転手さんは台風の時は私たちの書き入れ時です。と言ってもいた。風、怖くないんですか?と、訪ねたら、風は平気ですねー。と言っていた)

とは言ったものの、外出される方はくれぐれもお気をつけて行ってらっしゃい。今、玄関のドアを開けたら確かにかなりの雨ですね。濡れるのつらいですよね。

私も外出時はレインコートとレインブーツで完全防備で出掛けます。