福山競馬場歴代所属騎手 【イントロ】

 

福山競馬場歴代所属騎手 【は行②】

 

 


は行の後半、ご紹介は番園一男騎手、弓削和彦騎手とともに1970年代のBIG3を形成した藤井勝也騎手から。

 

まさしく大器晩成というべきか、早くから素質の片鱗を見せつつも着々と力を蓄え、キャリア中盤以降は内外からの信頼厚いジョッキーとして存在感を放ちました。

 

ザパルテノスとともに園田・全日本アラブクイーンカップを連覇し、金沢のオールジャパンリーディングジョッキーという重賞競走でも優勝(1986(昭和61)年、第3回)するなど、馬と騎手の交流競走それぞれで活躍されました。

 

また、通算1,444勝は、引退当時の生え抜きジョッキーとしての最多勝記録でした。

 

落馬負傷によってその記録が歩みを止めてしまったのは、残念の一言です。

 

 


(藤井勝也騎手 / 1989(平成元)年度版騎手名鑑より。生年月日等は消しています)

 

 


実弟の藤井義弘騎手は、ダイサンミヤモトで福山菊花賞を勝って重賞初制覇。

 

まだ調べきれていないところではあり、そもそも1970年代末ぐらいまでは重賞競走の扱いも曖昧なので何とも言えないのですが、お兄さんより先に重賞を勝ったようです。

 

翌春には福山ダービーの前身であるヤング王冠を勝ち、粗さはありつつも急成長を見せていた矢先、ヤング王冠の翌月の落馬負傷によって引退を余儀なくされました。

 

当時の状況はある程度知ることができましたので、機会があれば記事にしてみたいとは思いますが、兄弟にまとわりついていた暗雲を思うと、気は進みません。

 


1980年代前半を代表する名手の1人で、ヤナイエースの主戦を務めた藤尾育央騎手は、重賞競走もレコードタイムも全部持って行こうかという勢いの現役時代を送りました。

 

コースの砂が日本一深いと言われることもあった当時の福山競馬場では、鐙を長めにして深く踏み、馬を起こしながら駆けさせるスタイルが“福山流”として根付いていました。

 

しかし、藤尾騎手の、鐙を短く馬の背にぴったり吸い付くような真逆ともいえるスタイルは、革命をもたらしたといっても過言ではなかったでしょう。

 

活躍する様は、まさに時代の寵児。

 

勝ったレースだけでなく負けたレースでも、例えばニホンウルフでローゼンホーマの2着に突っ込んだ福山ダービーの最終コーナーをはじめとして、技巧の光るシーンが数多くありました。

 

 

 

(藤尾育央騎手とヤナイエース / 1980(昭和55)年、第13回福山菊花賞)

 

 


“てっぱん”の愛称で親しまれた藤岡鉄郎騎手

 

その愛称は名前からの想起ですが、競馬用語としては「最高の信頼度」を表す言葉だけに、ご本人もまんざらではなかったのではないでしょうか?

 

気性の激しいタイプで、闘志あふれる騎乗スタイルを持ち味にしていたと聞きます。

 


藤本三郎騎手は廃止まで現役を続けられましたので、ご存じのファンも多くいらっしゃるはず。

 

飄々とした雰囲気があって、勝負師的な鋭さのあるオーラを漂わせているタイプではないながら、あっと驚くレースでファンの度肝を抜くことがしばしば。

 

穴党に信者が多いジョッキーで、私も何度か好配当を取らせてもらいました♪

 

 

 

(藤本三郎騎手とハヤト / 2013(平成25)年3月、C1二組。ブロ友さん撮影の写真をお借りしました

 

 


堀部重昭騎手は、大本命エルフオードを破ったカツラテスターの福山ダービー('75)、前年の覇者アレグレツトの連覇を阻んだマイラツクの新春賞('72)などの実績が光ります。

 

競輪でいうところの“マーク屋”とは少し違うのかもしれませんが、そのレースにおける最も強い馬を見抜き、徹底的にマークして勝つというタイプだったのでしょうか。

 

80年代ファンには三冠馬サワトヨキングの、終盤のファンにはバクシンオーの調教師としても懐かしく思い出されることと思います。

 

 

 

【2019/2/6追記】

 



(藤本三郎騎手とマルゼンパワー / 1991(平成3)年、第12回銀杯)

 

 

 

サブちゃんの貴重な1枚!

 

変更前の勝負服です。

 


デビュー年にあっさり減量ジョッキーを卒業されるなどして、才能あふれる若者として活躍されたイメージがある、この服色。

 

白と青縦縞のお馴染みの勝負服の方がスッキリ見えて似合っていた気はしますが、上の写真と見比べていただくといかがでしょうか?

 

 

好みは人それぞれあれど、ひとたび勝者の威厳をまとえば、どんな色もカッコよくなります!!