か行も役者揃いです。
スイグンとともに全国で活躍された片桐正雪騎手。
先行馬のスイグンやラピッドリーランで大舞台を総ナメにしていたキャリア後期の充実は、差し戦法にこだわり過ぎていたようにも見えたキャリア前期のもどかしさがあったがゆえでしょうか。
サラブレッド導入以降にこれといったお手馬がなかったことは不思議なところではありますが、アラブとともに歩んだ福山競馬場らしさを体現した騎手だった、と言えるのかもしれません。
神原勝志騎手と小嶺英喜騎手の高畦治夫厩舎ツートップ。
とりわけ「千両役者」とも称された小嶺騎手の大活躍は、ひとつの時代でありました。
好位を取って向正面に入ったところで仕掛け、早めにマージンを稼いで凌ぎきる…レーススタイルは意外にオーソドックスで固定的だったというのが、私の個人的なイメージです。
しかし、人馬とも才能と野望にあふれる者がひしめき合った70年代以降、単調なレース運びでは勝ち抜くこと、ましてやリーディングを取ることなどは、不可能だったでしょう。
それを成し遂げてこられたのですから、固定的に思えて素人には見抜くことなどかなわぬ「紙一重を掌中にする技術」が、小嶺騎手の中には存在していたのですね。
(小嶺英喜騎手とグリンダイオー / 1991(平成3)年、第24回福山菊花賞本馬場入場)
一方、神原騎手も3年目で農林大臣賞典(のちの福山大賞典)を制するなど、早くから大舞台の栄光を手中にされました。
また、1万回騎乗も達成されています。
か行では他に片桐騎手も達成されていますが、開催日数が少なかった昭和の時代が騎乗期間の多くを占める神原騎手の場合は、より密度の濃い記録と言っていいはずです。
今はディアマルコとともに各地で活躍されている姿などを拝見できますね。
全日本新人王争覇戦を制した久保河内健騎手は、大きな飛躍が期待された1人でした。
また、川崎人士騎手も特別戦に強いジョッキーで、番園一男騎手と並ぶ那俄性裕厩舎のツートップとして昭和40年代半ばのメインレースを席巻しました。
久保河内騎手、川崎騎手、ともに早い引退が惜しまれるところではありました。
北野多美男騎手は、取捨選択のしやすさが抜群でした。
見抜くのはいたって簡単、返し馬を最後まで入念にしていたら「買い」。
それだけ(笑
この手法、現役当時はかなり有名な馬券作戦だったようです。
「おっ!タミちゃんがまだ返し馬しょーるが。こりゃ買うとかにゃあいけんで!」と、締め切りギリギリになって追加の馬券を買いに行く人は私の周囲にも多かったです。
(北野多美男騎手[先頭]、開催日程カードより)
黒川知弘騎手は、黒川幹生師との父子鷹で活躍し、お祭り好きなキャラクタ―で福山けいばを盛り上げてくださいましたね。
父子鷹という点では、オールドファンは黒川幹生騎手・黒川都起哉師のコンビを思い起こすでしょうか?
桒田晃騎手はリーディング獲得歴があるようなのですが、その年度については調査中で、まだたどり着けていません。
今のところ、桒田騎手のデビュー以降では昭和48年度から51年度と56年度の計5ヶ年度分のリーディングジョッキーが全くの不明となっていますので、そのいずれかの年度ということになりそうです。
ただし、桒田騎手に限ったことではありませんが、リーディングジョッキーが私の押さえている人と実際とで違っていた…なんてケースも想定して調査しなければいけないかも(汗