稀勢の里ロスと禁じられた遊び | 今日もスピリチュアル日和

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昨日は瞑想のお知らせがギリギリになってしまい申し訳ありませんでした。m(_ _ )m

以後もう少し早くお知らせ致します。(^_^;)

 

スピードのキアヌ・リーブスからタイタニックのディカプリオへ、

そしてパイレーツオブカリビアンのオーランドブルーム、

数年前までは特にタイプの芸能人はいなかったので、聞かれた時には小栗旬君と、

自他ともに認めるイケメン好きと思っていた私だったが、

人の好みとはいともたやすく変わるものだ。

 

今ではタイプは稀勢の里。

 

お顔が大仏似のほかに、相撲の取り方がたまらない。

 

ガッツリ真正面から取り組む姿勢と、勝った時に相手がケガをしないようにサポートして

土俵から突き落とさないその優しさがグッとくる。

 

しかし、表題と違って●●ロスとは縁が遠い私である。

 

何でかな~と考えてみたところ、思い出すのは

小学生の低学年で見た映画「危険な遊び」

 

父が私を無理やり起こしTVで見させた映画である。

 

小学生の私の記憶なので内容はもしかしたら違っているのかもしれないが、

私の記憶ではこのような映画になっている。

 

戦争の時代、6・7歳くらいの女の子が両親を亡くした。

人通りの多い市場で同じ歳くらいの男の子と出会い、

両親がかわいそうだからと毎日虫を殺して一緒にあの世に旅立てるように弔う。

ある日男の子の両親が迎えに来て、その男の子は連れ去られ

一人ぼっちになった女の子は我に返り、

「ママ~・ママ~」と叫んで探しまわるシーンで終わる。

父は、「この子は自分のお母さんが死んだことに今気が付いたんだよ」と言ったと思う。

 

もうひとつ「ノートルダムの背むし男」

これも上記と同様に父に無理やり起こされて見せられた映画で、

この時は本当に眠くていくつか父が説明したシーンしか覚えていない。

 

教会で下働きをしている醜い背むし男が、美女を好きになった。

ある理由でこの女は教会にかくまってもらっていたが、

見つかって殺されてしまう。

勿論せむし男は美女から愛されることはなかった。

地下に埋葬された女のところへせむし男が入っていくシーンで終わった。

ここで父はこう説明した。

「この背むし男はこの女の人が好きだから一緒に死んでいくんだよ。」

 

どちらもやるせない物語だ。

 

おそらく幼い私の眼には「愛すると何か耐えられないような悲しい思いをする。」、そんな感じがしたと思う。

 

物悲しくも、純粋すぎる愛。

 

●●ロスにはならないが、いつも愛することにブレーキをかけてしまう。

 

幼い私のイメージをそろそろ手放すときがきているのだろう。

 

どちらの映画も幼い私には非情な映画と映ったが、父にはそうではないから、

私に見せたかったのだと思う。

 

愛と喪失について何か答えを見つけたいと思うが、今は見つからない。

 

私たちそれぞれが人生で探していくことなのかもしれないなと思う。