感情は敵ではなく守護者

 

 私たちは、怒りや悲しみ、嫉妬や嫌悪といった感情を「悪いもの」「抑えるべきもの」として扱いがちです。ですが心理学的に見ると、感情は私たちを守る“守護者”のような存在です。

 

 感情の多くは、私たちの内側で大切な価値が脅かされたときに発動します。

アメリカの心理学者ポール・エクマンは、人間の基本感情を「恐れ・怒り・悲しみ・喜び・嫌悪・驚き」と整理しました。これらはすべて、生存を助けるために備わった本能的な反応です。

 

 たとえば怒りは、侵害から自己を守る力。悲しみは、失ったものを受け入れ、次へ進むための癒しのプロセス。どんな感情も“自分の尊厳や安全を守るためのメッセージ”なのです。

 

 それでも多くの人が感情に悩まされているのは、感情に飲み込まれたり、引っ張られるからです。

特に「怒り」は敵意や攻撃と混同されやすく、社会的に抑圧されやすい感情です。しかし、アドラー心理学でも「感情は目的を持つ」と言われており、怒りの裏には「もっと理解してほしい」「大切にされたい」という切実な願いが隠れています。感情を抑え込むのではなく、その背後にある目的に耳を傾けることで、自己理解に繋がります。

 

 ユング心理学では、感情は「意識と無意識をつなぐ橋」ともされています。表面に現れた感情は、無意識が私たちに伝えようとするメッセージなのです。たとえば、誰かに対して強い嫌悪を感じたとき、その相手は自分の中の“抑圧した一部(シャドー)”を映し出していることがあります。

感情を敵視せず、その奥にある声を聴くことで、私たちはより統合された自己へと近づいていきます。

 

 感情をコントロールすることは、感じないようにすることではありません。むしろ、「私は今、何に反応しているのか」「何を守ろうとしているのか」と問いかけることで、感情を味方にできます。怒りは境界を守る力、悲しみは癒しへの導き、恐れは慎重さを与える感情。どれも生きるために必要なものです。

 

 感情を排除しようとすると、本当の喜びや愛情まで感じづらくなってしまいます。感情を「守護者」として受け止めるとき、私たちは自分の内側と再びつながり、自分を大切にする感覚を取り戻していけるのです。

 

 健全な与え方

 

 私たちは、誰かの役に立ちたい、支えたいという気持ちを持つことがあります。しかしその気持ちが行き過ぎると、「自己犠牲」という形になり、心身のバランスを崩すことがあります。

 

 自己犠牲とは、自分のニーズや限界を無視して、相手や状況の要求に従い続けることです。たとえば、体調が悪くても人のために尽くす、無理な約束を受け入れて疲弊する、といったケースです。

 

 

 心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求を「自己実現」の段階まで階層化しました。マズローの理論でいうと、自己犠牲が常態化している場合、まず自分の基本的な安全や生理的ニーズが満たされないまま、他者のニーズを優先してしまう状態と言えます。これは長期的に見ると、ストレスや燃え尽きの原因になります。

 

 一方で「貢献」は、自分の価値や能力を主体的に活かし、相手や社会に役立てる行為です。心理学者カール・ロジャーズが提唱した「自己一致(コングルエンス)」の概念は、自分の内面と行動が一致している状態を健全とします。つまり、貢献とは、自分が心からできることを選択し、無理なく提供する行為であり、自己犠牲とは異なります。

 

 

 

 自己犠牲と貢献

 

 自己犠牲は相手優先、無理をして行う、疲弊や後悔が残るといった状態であり、貢献とは主体的、選択的、行動そのものに意味を感じる、満足感が得られることです。

 

 友人が困っているときに、自分の仕事や体調を犠牲にして助けるのが自己犠牲だとすれば、体調や時間を調整しながら、できる範囲で寄り添うのが貢献です。貢献では、相手も自分も尊重され、関係性が健全に保たれます。

 

 また、心理学的には、貢献はモチベーションにもつながります。自分が価値ある行動をしているという感覚は、自己効力感(バンデューラ)を高め、前向きな行動の循環を生みます。一方、自己犠牲は、外的承認に依存するため、達成感や満足感が得にくく、慢性的な疲労や自己否定感につながることがあります。

 

 他者のために動くこと自体は素晴らしい行為ですが、自分の安全・感情・限界を尊重しながら行うことが、健全な貢献につながります。自分のペースで与えられる範囲を意識することが大事です。自己犠牲は自分を破壊する行為であり継続はす可能ですが、貢献は与えることであり、自分が犠牲になっていないので継続していくことが可能です。

 

 

 

 やりきることが難しい

 

 

目標でも人間関係でも自分がやり切れたかどうかが重要だと日々実感しております。

 

ただ、大人になると「やりきる」ということが難しくなってきます。

子どものころにはがむしゃらにできたことも、大人になるとできなくなります。

 

大人は色んな経験を重ね、ある程度の予測や自分の限界値を知っています。

世間体や恥、上手くいかなかった経験からチャレンジするのも怖くなってきます。

 

だから大人は知らず知らずのうちに自分にブレーキをかけてしまいます。

保身という考えが強くなりがちです。

 

もちろん、そういった感覚や保身は大事ではあるのですが、「やりきる」ことをさせてはくれません。

結果、「やりきる」ことができないともやもやが残ります。

 

そうなると、心の充実を得ることが難しくなります。

 

 

 

 やりきるとは?

 

「やりきる」とは過程のことであって、結果ではありません。

自分がどれだけやり切れたと思えるかは、どれだけ自分の本当の気持ち、スピリットに従えるかどうかです。

 

「こうしたい」と思っても、止める自分が出てきます。不安や恐れ、外的要因で止めてしまうと、不完全燃焼となってしまいます。

 

だからと言って、突っ走ってしまっては体調を崩してしまったり、人との摩擦が起こってしまう可能性があります。

 

大人になって良いことは、今までの経験があるからこそ、そこから学び、今に生かすことができます。

そのバランスを取りながら、「やりきった」と感じれるまでとにかくやる!

 

それがカギとなります。

 

 

 

 自分軸と継続

 

人はこの「やりきる」を感じないと次へ進めません。

やりきらないと同じところをぐるぐると永延に周り続けることとなります。

 

やりきるには、世間や自分の内なるシャドーに引っ張られないことが重要です。自分軸と言われている、自分の内側の強い芯が必要です。起こっている現象に引っ張られない、それで判断、決断しないということです。

 

また、途中で諦めたり、止めてしまうと「やりきった!」という達成感を感じることができません。

継続は忍耐を伴います。耐えれる精神力も必要になります。

 

日々起こる出来事に引っ張られることはダメなことでは決してありません。

それが自然なことです。そこから、自分の軸に戻すことが一番大事なポイントです。

揺れたり、引っ張られるたびに自分に戻していく作業が筋トレと一緒なのです。

 

 

自分軸で生き、継続していくことは簡単なことではありませんが、「やりきった」とかんじれるほどの達成感を感じれるようになったと時には精神力も人間性も必ずアップしています。

 

 

 

 

 

 褒められなかった成功体験が「成功への恐れ」を生む

 

 子どもの頃、どんなに頑張っても、褒められなかった。絵で入賞したときも、習字で賞を取ったときも、テストで100点を取ったときも、「すごいね」と言ってもらえなかった。


 それなのに、親や周りの大人は他の子どもを褒めている。

 

 その様な体験を重ねると、「がんばっても意味がない」「どうせ誰も見ていない」という思いがわいてきます。

そのような思いは大人になっても自分の行動を妨げます。

 

 それは「成功への恐れ(fear of success)」と呼ばれています。
失敗が怖いのではなく、「成功しても報われなかった痛み」や「誰も喜んでくれなかった孤独」を、もう二度と味わいたくないという心の防衛です。

 

 たとえば、試験を前に「受かる気がしない」と感じるとき。
それは能力が足りないからではなく、成功した自分を受け入れる準備がまだ整っていないサインかもしれません。

 成功すると、期待されたり、孤立したり、「誰も見てくれなかった」過去の感情が刺激されます。
だから無意識は、あえて「うまくいかない」と感じてブレーキをかけるのです。

 

けれど、その恐れの奥にあるのは、「本当は認めてほしかった」という願いなのです。
それを抑え込むのではなく、そっと受け止めてあげることが、“成功への恐れ”を癒す第一歩です。


「誰も褒めてくれなかったけど、あの時の私は本当によくやってた。」
「努力していたこと、ちゃんと知ってるよ。」
と自分が過去の自分に言葉や意識を向けることで、過去に取り残された自分が少しずつ報われていきます。

 

 本当の自信とは、他人に認められた結果ではなく、自分が自分を認めることで生まれます。
他人の評価に依存した自信では必ずその他人の評価に左右されます。その他人の評価がなければ自信を持てない状態です。

しかし、自分自身がきちんと過去の功績を認め、経験から学び、成長した自負があるならば、他人の評価に関係なく揺るがない自分でいることができます。

 

自分とは無関係な物事や出来事なのに強く反応してしまうことがあります。

そんな時は、以下のような心理メカニズムで説明できます。

 

 

 

  内的正義感・誠実さへの同一化

 

あなたが日常的に「正直でありたい」「誠実に表現したい」と強く意識している場合、その価値観がアイデンティティーの一部になっているからです
他人がその誠実さを踏みにじるような行為をすると、実際に自分もされたように感じられてしまいます。
「他人の不誠実=自分への攻撃」のように感じてしまっている可能性があります。

 

 

 観察者トラウマの可能性

 

 

自分が直接の被害者でなくても、目撃者であってもその出来事はトラウマになります。
たとえば、子どもの頃に「誰かが正直に頑張っているのに報われない」場面を見て、「不正やズルは許せない」という強い価値観が形成されることもあります。
その場合、過去の記憶が現在の出来事に刺激され、実際以上の怒りや不快感として立ち上がることがあります。

 

 

 自己境界の過敏化

 

知的・感受性が高い人ほど、心の境界が繊細です。
自分と他人の「心理的な領域」が混ざりやすく、他人の行為が自分という領域への侵入のように感じてしまうことがあります。
実際には「真似されただけ」でも、心の内では「私の表現を奪われた」「自分の独自性が壊された」と感じてしまいます。
これは感受性の高い人の防衛反応として自然な現象です。

 

 

 潜在的な「正当に評価されなかった経験」

 

実際の体験として記憶していなくても、「がんばっても誰も見てくれなかった」「理解されなかった」という感情記憶(implicit memory)が心に残っている場合があります。
他人が功績を奪う場面を見たとき、その古い「評価されなかった痛み」が無意識に刺激され、怒りや悲しみととして出ることがあります。

 

 

 メタ的視点

 

真似している人への嫌悪感は「誠実であることを大切にしている自分」への忠誠反応とも言えます。
「私はそういう人間ではない」「その価値観を守りたい」という自己防衛的であり、アイデンティティーを維持するための心の働きでもあります。

 

問題なのは、それが過剰にでてしまう時です。過剰な心の反応は自分自身をも疲れさせ、他人との関係も悪くします。

自分が楽になるためにも、周りと上手くやっていくにも、まずはこの過剰反応に向かう必要があります。

 

 内なる女性性と男性性

 

 私は女性として生まれながらも、思考や行動の傾向はどちらかといえば男性的でした。論理的に考え、結論を求め、感情よりも理由を優先してしまう。そんな自分の未熟な言動で上手くいかなっかた経験もあり、「私のこの部分は間違っているのでは」と感じ、長いあいだ自分の中の男性性を否定してきました。

 

 けれど最近になって、否定していたその部分こそ、私を支えてきた大切な力だったのだと気づきました。方向性を定め、行動するための意志、責任を引き受ける力。それはまさに男性性のエネルギーです。

 

 そして、それと対になるのが女性性。女性性は「受け取る力」や「育む柔らかさ」として、安心感やつながりを生み出すエネルギーです。どちらかが優れているのではなく、両方がそろって初めて、自分という存在が調和していくのだと思っています。

 

 心理学者カール・ユングは、人の心の中には性別を超えた二つのエネルギーが存在すると提唱しました。男性の無意識には「アニマ(女性性)」が、女性の無意識には「アニムス(男性性)」がある。つまり、誰の中にも相反する性の側面が宿っており、その両者が統合されるとき、人はより深く自己を理解し、成熟していくという考えです。


 自分の中の男性性を否定していた時期、私は「優しさ」や「思いやり」を大切にしようとするあまり、どこか自分を小さくしていました。でも本当の優しさは、自分の内側の強さと結びついてこそ生まれるもの、行動する勇気や決断する力があってこそ、他者への思いやりも現実的なかたちになるのだと今は思います。

 

 誰かを支配したり優位に立つための力ではなく、目標へ向かう推進力としての男性性。そして、それを包み込む、受容と共感の女性性。その二つが調和することでより自分らしく生きることができるようになります。

 

 過去に引っ張られず、自分で築く未来思考へ

 

 私たちは誰しも、幼少期や過去の体験に影響を受けて生きています。過去の嫌な体験や失敗、安心できなかった環境は、無意識のうちに心を支配し、日々の感情や判断に影響しています。

 

 心理学的には、過去の体験は「学習されたパターン」として潜在意識に刻まれます。幼少期に親の顔色を伺う必要があったり、親からの愛情が条件付きだった場合、無意識に「安心を得るには犠牲が必要」という思い込みを作ることがあります。False Self(偽りの自己)やシャドーの声は、この過去の感情やパターンに引き戻す力を持っています。

 

しかし、事実を冷静に見ると、私たちは今や大人であり、自分の意思で選択し、環境を作る力を持っています。過去のパターンや感情は参考にはなりますが、それが未来を決めるわけではありません。

 

 重要なのは、「過去に引っ張られている自分」ではなく、「未来を自分で築く自分」を意識することです。

未来思考とは、過去の制約や不安に囚われず、今から行動できること、選べること、作り出せるものに意識を向けることです。たとえば、過去には自由に選べなかった家や環境も、今の自分は情報を集め、意思を持って判断できます。日々の小さな選択も、未来への積み重ねになります。

 

 最初は過去の感情に引っ張られますが、意識的に「これは過去の声であり、今の私は自分で決められる」と繰り返すことで、少しずつ感情の反応は落ち着き、自分の意思に基づく行動が自然になってきます。

 

 過去の体験や感情を否定する必要はありません。それらは自分の一部として存在しています。しかし、未来は過去とは独立しており、自分自身の手で築くことができるのです。過去に引っ張られる時は、自分で築いていく未来を意識することが重要です。

 幼少期の体験は、私たちの心に深く刻まれます。私は子どもの頃に、周りに安心できる存在がいなく、自由に過ごせない経験をしてきました。そのときの葛藤や不満は、今でも感情として反応することがあります。

 

 心理学者アリス・ミラーは、幼少期に自分を守るために形成される「False Self(偽りの自己)」の存在を指摘しています。False Selfとは、親や環境に合わせて自分の本当の感情や欲求を抑え、見せかけの自己を作る心理です。「母親だって大変だった」「自分がこうすればよかった」という思考は、まさにFalse Selfの声です。無意識に自己防衛として働くため、感情的にはリアルに感じますが、事実とは異なる場合が多いのです。

 

 さらに、ユング心理学でいうシャドーは、抑圧された自分の側面を反映します。偽りの自分と同様に、罪悪感や自己否定を生み出し、「自分もされたことと同じことをしているのではないか」という不安や葛藤を引き起こします。

 

 しかし、冷静にみると、その声と現実は異なります。そのギャップに気づくことが、False Selfやシャドーに引っ張られないための第一歩です。

 

 感情と事実を分離して認識する必要があります。「これは偽りの自分の声」「これはシャドーの声」とラベルをつけ、感情を否定せずに受け止めながらも、行動や事実は冷静に確認します。

 

 こういった偽りの自分の声やシャドーの声は非常に強いです。意識的に「それは違う!」と思っても、何度も何度もまたその声は戻ってきます。

 

 筋トレを始めて1日で筋肉が付かない様に、心も同様です。1日では心の癖は直りません。何度も練習し、ようやく簡単にできるようになるのです。

 

 継続的に取り組むことで、幼少期に形成された偽りの自分やシャドーのパターンを少しずつ手放すことができます。頭では理解していても感情が引っ張られるのは自然なことですが、心理的筋トレを続けることで、本来の自分に戻す力がつきます。

 

 

 幼少期の被害を認めることが心を解放する

 

 幼少期、私たちは自分の感情や欲求を正直に表現できないことがあります。私は小さい頃、人に預けられてばかりで、家にいたいのに保育所や学童に行かされることも多く、安心して自由にできる時間を持てませんでした。子どもながらに「どうして自分の望みは通らないのか」という葛藤を抱えていました。

 

 こうした経験は、無意識のうちに「安心を得るには犠牲を払わなければならない」という潜在意識のパターンとなっていました。大人になってからも、結婚生活や人間関係の中で同じような葛藤や不自由さを感じていました。

 

「安心を得るには犠牲を払わなければならない」という無意識の中にある潜在意識が幼少期の再現となって大人になってからも同じ様な状況から抜け出せないままでした。

 

 心理学者アリス・ミラーは、「自分を正当化する思考」をFalse Self(偽りの自己)と呼びました。「母親だって大変だったから仕方がない」「自分がこうすればよかった」という思考です。これは自分を守るための防衛であり、生き延びるために必要だった反応でした。しかし、同時に本当の感情や欲求を隠し、自己を歪める原因にもなります。

 

 大切なのは、幼少期の自分を被害者として認めることです。「私は被害者でしかない」と認めることで、False Selfから解放されます。被害を正当化せずに体験をそのまま受け止めると、過去の葛藤に囚われることなく、今の自分の意思や欲求を尊重する力が育ちます。

 

 幼少期に経験した不自由さや不安定さは、決して自分のせいではありません。母親が母親でなかった、あるいは環境がそうせざるを得なかった、ただそれだけです。その現実を受け入れることで、初めて本当の自己が現れ、自由に安心を感じることができます。

 

 大切なのは、責める・恨むではなく、「そういう体験をした私がいた」という事実の承認です。他人に理解される必要もありません。

 

 客観的に今の自分は何もできなかった幼い自分ではないと、過去と現在を切り離し、「過去の私は被害者だったが、今の私は違う」と意識することで、今の自分への自信や信頼へ繋がります。