「草原」と書いた子どもたちの文字の
書道の作品がずらっとならんで
風にゆられているので
みるたびに
前に歌った合唱曲の
「ぼくは きみの 中の 草原をおもう~」
の部分が出てくる。
自分で「出てくるのこれなんだ…」と意外に思う。
もっと草原そのものがタイトルになっている曲なども
歌ったことがあるのになあと思う。
草原という文字がおのおのの形をして
いくつもいくつもゆれている状況が
実際の草原の描写ではなくて
「きみの中の草原を…」につながるのだろうか。
それで最近はこの曲がぐるぐるしていて
あらためて聴いたり考えたりしているのである。
信長貴富・谷川俊太郎「泣いているきみ」
ひとの心に寄り添うということの
もっとも理想のかたちに思えるのは
歌っていた何年も前ではなくて
今この曲を聴いているだけの
今の自分だからだろうな。
「こういうこと(人の心に寄り添うこと)ができない自分」は
自分の中でも最も嫌な部分であるけれど
そのかたちを文学や音楽でみせてもらうと
そこへの共感はもっていることに
少しホッとする。