心の底の悲しい音を猫は聞くことができる |  ろぜのポジ♪ブロ ~RAINBOW~

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基本笑顔、
基本ポジティヴ。
書くことでコントロールできる
こころのもちかた。

漱石の小説はあらかた読んだが必ず途中で挫折するのが

「吾輩は猫である」であった。

この人生何度も挑戦したが最後のページあの有名な

「南無阿弥陀仏」のくだりにたどりつくことがなかった。

しかし本日ついに2か月もかかってたどりついたのである。

まずどこで挫折するかはわかっており半分より前のところ

半分過ぎたらやっと面白くなってきて

終わりの3分の1はかなり面白くて

最後に向かう部分は心震える。

「第九」なみに騙されてる。長い3楽章までを耐えたのに

終楽章を聴いたら「ブラボー!」って叫ぶあれだ。

(個人の見解です…っていうか個人的には3楽章が好き)

 

特になんという事件も起こらないが

主人の苦沙弥先生をめぐる仲間の人々は

個性的にもほどがある。それなのに

最後の方で「未来には個性の自由が許されると

お互いの間が窮屈になる」の主張が面白い。

未来に窮屈になるのならこの家に集う君たち

とうに窮屈のはずじゃん…。

そしてこれらをすべて猫が聞いているという

スタイルなので猫のくりくりした小さい頭が見えてくる

おかしみもある。

しかし個性の主張によって親子も別居するという

未来予想すごいし夫婦も別居するようになるの説は

なるほどと思う。そうなるかもしれない。

その辺の漱石の先見の明について考えてもいいし

これでもかと頻繁に出てくる差別用語について

も考えてしまうし、(これも挫折しかかる原因でもあるが)

何しろ感想文を書くなら着目するべき点は

いろいろある。

 

でも最後の数ページはじーんとしてしまう。

最後の数ページで殿堂入りしてしまう。

おかしい人間のおかしな行動を笑いつつ

刹那に生きて思いは未来へつなげる人間の

心の底の悲しい音を猫は聞いていたんだ。