踏みしめながら、気づいたこと落ち葉を描くとき 表だけ描いてしまうけれど じっさいは表と裏が半々で 織りなす立体的な模様が 美しい。 裏には表と同等の価値が あるんだろう。 と 東山走ってて気づいた。 裏の自分も(あるのか?)表の自分と 同等の価値があるので そんなに「嫌な自分」に苦しまなくてもいいのでは ないだろうか? 今日は写真撮るために少し足踏みしちゃったが 歩かない立ち止まらないで走ろう来年も。