夏にしか読む気がおこらないものを読む。
三島を手に取った。
かつて村上春樹氏の人気作品を読んだときに
1ページに1つはすごいと思う比喩があったが
それすら三島の比ではない。
三島の文学は1行1行そのすべてが
文学している。
もう比喩ですらなく、そうとしか表現してはいけないから
そう書いたのだと思わせる。
まわりくどいと飽きてきたり分からなかったりする
ものだが三島の場合、その表現をすることによって
言葉でありながら読み手の脳の言語中枢ではない
ところに働きかけているような感じがするのである。
麻薬に酔うのはこんな感じなのではないだろうか。
三島が長く生きてなお文学を生み出していたら
人類をどこか別の方向へ向かわせることが
できたのではないかとさえ思う。
しかしその麻薬部分に酔っていると
内容の本質をいつまでもとらえられないという
凄い「わな」になっている。
ひょっとして真髄にたどりつけないように
しかけたわななのではないか?
だから自分は肝心な内容にはまったく
心を動かされず気味が悪いから
できればはやく終わってほしいとさえ
思っているのではないか?
それなのに一言一句ももらすことができず
苦しみつつ読み進めるのである、