わたしの転機。
15歳から20歳くらいまでの5年間。
その年齢って、本当に大事な時期。
だって、私は今でも価値観や、自尊心や、自立心や、思考や感情の癖、トラウマやフラッシュバック、ぱにっくになったり、ずっと苦しんでいるんだもの。生理がまともに来るようになって来たのも最近だし。
心は身体や人生にも本当に大きな影響を及ぼすんだね。
でも、人生で一番辛くて苦しい時、笑顔で平気なふりをする能力を身につけてしまったから、誰も私の心の苦しみには気づかない。
私とは真逆の世界に住む彼女に連れられて行った先で、彼女の仲間たちにレイプされ、その後も彼女の命令でろくでもない見知らぬ男と毎日のように性的な行為を強要され、私は精神が崩壊し、最近まで生理がまともに来なかった。
お酒を飲んでアルコール中毒になり、大好きな勉強や高校にも通わせてもらえず、家にも帰らせてもらえなかった。
彼女の家に住み、掃除、洗濯、料理、全ての手伝いをさせられた。彼女のお婆さんにまるで姑のようにいびられ、彼女の父も私を奴隷としか思っていなかった。
お風呂にも入らせてもらえず、歯磨きもさせてもらえず、パンツや下着も取り替えさせてもらえなかった。毎日ガビガビの下着を履いて、夜は冷たい床の上で寝ていた。本当の私はわりと潔癖症だ。今では吐き気がするけれど、その時は私の心は壊れて洗脳されていたので、それが当たり前だと思っていた。
それでもどうしても下着を取り替えたい、歯も磨きたい、そう懇願していると、彼女は自分の履いた下着を私に履くように命じた。歯ブラシも彼女の使った食べカスがたくさんついた汚いものを使うように言われた。
数週間に一度彼女の気が向くと、みんなが入った後の汚れたお風呂に入ることが許される時もあった。その時の私は、「私なんかが、良いの!!」と笑顔で喜んでいた。しばらくすると、逃げ出そうとも思わなくなった。精神的に監禁されたんだろう。私は完全に精神的におかしかったとおもう。助けが必要だったと思う。でも、誰もいなかった。
私には全く選択肢がなかった。
私は彼女のいとこの父がヤクザなのを知っていたし、彼らの男兄弟やファミリーは、田舎の地元では有名だった。インターネットも広まっていない、外泊もしたこともない、家族も助けてくれない。私が人生で初めて外泊して家に帰らなくなっても、私の両親は私に電話さえよこさなかった。「逃げたら街を歩けなくする」と脅されたとき、15歳の私はそれを信じた。
毎晩彼女の命令で見知らぬ男を誘って出かけ、朝まで飲み明かした。「お前はあいつとやれ」そう言われればいくら吐き気のするような不潔で臭くて気持ち悪い相手でも従わねばならなかった。「盛り上げろ」と言われれば無理やりにでも盛り上げた。抵抗すると、彼女に暴言を吐かれ、殴られ続けた。
せめて卒業だけはしたいと懇願し、そのための最低限の日数だけ行くことを許された学校のクラスでは、当たり前だが、私はどんどん浮いていった。毎晩出かけていて眠れていないので、授業どころではなく、学校は私の貴重な睡眠時間を確保する場所になっていた。
抵抗しても精神的・肉体的に暴力を振るわれるだけのわたしは、彼女と出会ってから数年後のある夜、「ちょっと忘れ物をとってきたい」と言って、実家に寄ってもらい、その足で私はまっすぐ屋上へ行ったが、どうしても飛び降りることができなかった。
自分らしく生きることもできない。
でも死ぬ勇気や度胸もない。
そんな自分が心底情けなくて、余計に嫌いになり、彼らの言う通りだ。私は本当に価値がない、そう思った。
死ぬこともできず、やりたいこともできない。
文句を言うと、殴られ、蹴られ、髪をむしられ、貶され、私は無力で誰にも愛されない、何のの価値もない人間なんだとその暗黒の数年間、私は何度もと思い知らされた。
それが私の心の奥にまだ深く残っているのがわかる。
その時の私にできる精一杯の選択は、生きのびることだった。
笑顔で、彼らの機嫌をとり、殴られないように。
必死で彼らの表情や仕草から、彼らが私に望んでいるものを読み取った。
その通りに私はふるまい、話し、考えるようにした。
いつのまにか、それが自分自身にすり替わってしまった。
私の両親は外では普通のふりをしているけれど、家では違う。もともと子供にほとんど興味がないし、父はアルコール中毒で暴力を振るい、母もネグレクトで、彼らは結局自分自身にしか興味がなかった。彼らもまた、過去があり、自分自身を愛せない結果人を傷つける可哀想な人々なのだ。その負のループを繰り返したくないと思った。
私は、そんなもの引き継ぎたくないと思った。
私の代で終わりにしたい。
私には、相談できる人も一人もいなかった。
その頃に経験したこと、感じたこと、何度も何年も言われ続けたこと、それは私自身とその未来を大きく変えてしまった。
彼女は毎日のように新しい男性と関係を持ち、そのうち子供ができた。
その子が生まれてからの子育ても私がほとんど手伝った。
悲しくないはずなのに涙だけ勝手に出る日がたくさんあった。
そのときは気づかなかったけれど、本当は本当に苦しかったんだ。そう気づくまでこんなに時間がかかってしまった。
必死に楽しいことを見つけ、笑っていた。苦しくても笑っていた。
でも、楽しい日なんて本当は1日もなかった。
20歳の頃に、私は、さとった。
私は、普通の幸せな人生を歩むことはできなくなってしまったんだって。
男性が怖かったし、関係を持つことも何も感じないし大嫌いだった。でもその時の私はすっかり「私は無価値だから彼らの機嫌をとって喜ばせないといけない。彼らの評価が私の価値だ。こんな私が好かれるだけ感謝しないといけないんだ。」そう思いこんでしまっていたので、望まれれば誰とでも付き合うようになってしまっていた。
誰かのために毎日料理を作ったり、掃除、選択、家事をしてあげることも、以前は大好きだったのに、もう大嫌いになってしまった。
大嫌いっていうレベルじゃないな。なんか、拒否反応が出るんだよね。
叫び出したり、パニックになるって感じ。
同じ理由で子供も作りたくなくなった。というか作れない、とさとった。
人生の意味が、私の以前の夢や将来の目標も、高校や大学に行き色々なことを学び、世界を知る、そんな夢も希望も全て消え空っぽだった。
それでも、私なりに今まで、精一杯生きてきた。
そしてここ数年で、初めて自分を取り戻してきたように感じている。
最近になって私が親友だと思っていた友人に話すと、彼女は手紙で、
「人生は誰でも良いことも悪いこともある」と書いた。
私は、私と1番長い付き合いで、個人的な話を1番長年にわたってし合ってきた彼女が、今までのように個人的な感情に寄り添うのではなく、今回に限って、ありきたりな一般論の一言で簡単に片付けようとしていることが、本当にショックでとても信じられなかった。「寄り添ってくれている」と思える相手が私には必要だった。
今までは何もわかってくれていなかったのかもしれない、と気づくと、思い当たることがいくつかあり、とても悲しかった。手紙はすぐに破って捨てた。
彼女からのバースデーカードを破って捨てたのは初めてだった。
この苦しみは、同じ経験をした人しかわからない。
それは仕方ない。
でも、それにしても。そう思う。
なんか、全てが虚しくなった。
まるで自分だけが一方的に、彼女が1番私の気持ちを理解してくれていると思いこんでいたみたいだと思った。
今日は彼女の誕生日。
わたしはもう、取り返しがつかない。
新しい私で、自分を取り戻した新しい私として、生きていく。
一般的ではない、今の自分にしか歩めない人生を。
せっかくの人生、楽しみたいからね。
でも、結婚して先月子供が産まれたばかりの彼女には、私の分も幸せになってほしい。
そう心から思う。
Happy birthday. Love you ❤️
最後に、私の大好きなLouise Hayのアファメーションの中から一つ。





