傾聴・共感 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

こんにちは。

 

気温の乱高下、天候の変化が凄くて体が追いつきませんのぅ。

 

私は月イチの呪縛から開放されたものの、気圧の変化についていけない指やら膝やらの関節がキリキリチクチクと痛いです。

 

だーさんも少し波の幅が大きいです。

この1,2週間程若干テンション高めだったのですが、一昨日あたりから下降気味でネガティブシンキングになってきました。

けれど、自分自身で下降気味になっていることを自覚しているようで、うまくコントロールをしようと頑張っているので、私は余計な口は出さず傾聴、そして共感係り。

 

『余計なことを言わない』って簡単なようで難しいですよね。

ん?と思う事があっても、そこで「それは違うんじゃない?」とかって否定してしまうと一気に落ちてしまいます。

時に反抗的というか攻撃的になってしまいます。

だからといって、何でもYesではないけない。

何を言っても許されるわけではないから。

このサジ加減が難しいです。

 

しかし、これって別に相手が病気だからというわけではなく、人間関係全体に言える事なんじゃないかと最近特に思うようになりました。

 

私は結構鈍感なタイプで、自分のお気楽な性格を基準に考えてしまうことがありました。

だから、自分ではそういうつもりで言ったんじゃなくっても相手には不愉快と思うようなことを言ってきた可能性もあったろうし、相手の器が大きくって、そんな私の無粋な言葉を笑って聞き流してくれていたのかも知れないと思うと、常々言葉を大事に使わなければいけないと思うようになりました。

 

これは仕事でも多いに役立っています。

オトナとの関係でもそうだけれど、子供たちとも関係でも同様で。

子供たちの中にも自己肯定感の低い子がいます。

心が不安定で、落ち着いている時もあれば荒れている時もあり、荒れている時は大抵学校で何かあったか、おうちの中で問題を抱えているか。

荒れている時こそ寄り添ってあげたいと思うんですよね。

大丈夫だヨって。

 

日々勉強ですね。

 

では行って来ます。^^

 

 

本日も訪問頂きありがとうございました。^^