何が辛い? | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

だーさんは現在不安定期です。

周囲の音に敏感になり、昨日のようにわざわざ傘を差して奇声を上げていた女の子の様子を見に行こうとします。
犯罪に巻き込まれていたらと心配だったのもあるだろうけど。

私の顔色を伺います。
別に怒ってもいないのに「不機嫌?」と聞きます。
沈黙になるのが嫌で、ぺらぺらとしゃべり続け疲れます。(私も疲れるけど)

今考えても仕方ない事をあれこれと予測して考えるので何から何まで不安になります。

ずっと脳が動いているので寝付けずに、スマホで動画を見たりお酒を呑んだりします。

会社ではくだらない話しとかは出来るようだけど、元気なふりをしているだけではないの?と聞くと、そんなことないよと言います。

仕事に追い立てられつつ、でも完璧主義なので緻密に作り上げたくて、時間が足りない時間が足りないと言っています。

だーさんは残業をして仕事を進めたいらしいのだけど、社長から休日出勤と残業は禁止と言われています。(そりゃそうだよね)

時間が欲しいけど時間が足りない。
時間がない時間がないといつも頭の中に仕事があるから、週末のお休みは不安定に。

不安定になっていくと「そろそろ限界かも知れない」と言い始めます。

自分が死んだらとか、死に方がどうとか。

でも、癌になったらどうしようかなとか、呑みすぎは脳にも内臓にも悪いから気をつけなきゃいけないねとか言ったりする矛盾もあり。

言っているうちは大丈夫なのかなとも思うのだけれど、大うつ期の『死にたい』とは違うから半分本気なんじゃないかと私は不安になります。


私は最近、自死遺族の人のブログを読みます。
なんで?
よくわからない。

自死を止める術、ヒントがあるかも知れないからと思っているのかも知れません。

私はだーさんの役に立っているのだろうか。
ただ足をひっぱっているだけなのではないだろうか。

だーさんは頑張ってるのに私は全然頑張ってない。
私の心が弱いのはただの甘えで、努力が足りなくて、怠け者なだけで。
こんな甘えていて努力しないで怠けている私を抱えているんじゃ、だーさんの病気が治るわけないんじゃないだろうかと思ったり。

自分でなんとかしなきゃいけないことは自分でなんとかしなきゃいけない。
けど、体と心がおっつかない。
うわーーーー!!って叫びたいくらい辛い。

本当に辛いのか?
こんなことで辛いとか言ってていいのか?
あんた、ただのヘタレじゃない?
自問自答を繰り返す。

だーさんは辛い時
「誰かたすけて」
って言う。

それってどういう意味なんだろうといつも考える。
私じゃ助けにならないってこと?
私に助けを求めたら可愛そうってこと?

でも、なんとなくわかる気がする。

「誰かたすけて」
だーさんに「助けて」とは言えない。

そうか、そういう意味だったんだね。