作:雁屋哲、画:花咲アキラ「美味しんぼ(641)」 | ロロモ文庫

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日本全県味巡り大分編(6)

大分を回って歴史の古さと食文化の豊かさを感じたという海原。「食文化はそれだけで孤立したものでなく、文化全般の中の一つとして、捉えなければ意味がない。その面で究極のメニュー側は大分の食文化を捉えそこなっている。その証拠にこれを食べろ」「ぬう、黄色い飯だ」「これは臼杵の郷土料理で黄飯と言う。これはスペイン料理のパエリアと同じ色だ。この黄飯のもとはパエリアと言われている」「む。本当か」

説明する海原。「臼杵にはキリシタン禁制以前は大きな教会があって、宣教師の一人が臼杵の殿様に願って故郷のパエリアを作ったことがあると言う。パエリアの黄色い花はサフランの花でつけるが、代わりにクチナシの実を使った。クチナシの実は湿布薬となるので、昔の武士は干して備え持っていた。それを見た宣教師たちがクチナシの実を使うことを思いついたのだろう。これを見ると当時宣教師と大分の武家が良い関係にあったことがよくわかる。大友宗麟のような大名がキリスト教に改宗するのも、むべなるかなと思われる」「ぬうう」

「この黄飯はかやくを上にかけて食べる。かやくの作り方はエソを丸ごと焼き、ゴボウとニンジン、大根などの根菜類と一緒に炊く。煮立ったらエソの身をほぐし、豆腐を入れ、最後に醤油で味をつける。この黄飯かやくは大友宗麟の時代以来の節約食で、農作業の合間にいつでも食べられるようにしておいた。宣教師はパエリアを作るのに武家の湿布薬のクチナシを用い、農民はそのパエリアを見て、黄飯かやくを作る。この郷土料理は大分がキリスト教に出会って作り上げたキリシタン文化の産物の一つだ。究極のメニュー側は風土の特色を説明するにとどまり、文化の奥行きを味合わせていない」「ぬうううう」

大分には石仏や磨崖仏が多いと言う海原。「その信仰心は国東半島の地理的条件によって育まれた面もあるようだ。これはいもきりという芋の粉で作ったうどんにけんちゃん汁をかけたいもきりけんちゃんという料理だ、サツマイモを切り干しにし粉にして、その粉を練って、うどんに作ったものがいもきり、大根、ニンジンを薄切りにし、里芋を一口大に切り、油で炒めて醤油で味をつけて汁にしたのが、けんちゃん汁だ」「ぬう」

「この料理は目を見張るような美味ではないが、大地の恵みそのものの味だ。国東半島の内陸部は水の利が悪く、米は収穫を見込めず、食の中心は芋や雑穀に頼らざるを得ない、だが芋をふかして食べるのでなく、それを粉にして麺を作る。国東の人々の知恵の深さがわかるではないか。そして国東半島は台風に襲われるから洪水の災害もある。常に不作の恐れがあるから、人々は神仏を祈る、それが石仏や磨崖仏を作り出す宗教心を養った。このいもきりけんちゃんの味は石仏や磨崖仏の味なのだ」「ぬうううう」

魚の刺身の茶漬けを出す海原。「杵築の鯛茶漬けのうれしのだ。鯛の身を薄くそぎ切りにし、ゴマに酒,醤油、みりんなどを加えてタレを作り、鯛のそぎ切りを漬けこみ、飯の上に乗せ、茶をかける。このうれしのという名の由来だが、この地の大名がこの料理を食べて、「うれしいのう」と言ったからだと言われている。加賀百万石の大名が鮭の皮が大好物で「もし皮の厚さが手に入るなら、一尺の鮭が手に入るなら、百万石を引き換えにしても惜しくない」と言ったとされるが、これは豪快で大藩の大名らしい気概を感じさせる。このうれしのは杵築の郷土料理とされているから、杵築藩三万二千石の大名となる。百万石の大名と比べ、日頃の生活のつつしまさがうかがわれる」「ぬう」

「しかし小藩とは言え、それぞれの地方文化を育て、多くの才人を出した。杵築の哲学者、三浦梅園。日田の廣瀬淡窓。中津からあの福沢諭吉と蘭学者の前野良沢が出ているし、竹田からは江戸後期の文人画家として有名な田能村竹田が出ている。このうれしのは大分の長い間の小藩分立の歴史を思い起こさせ、小藩分立がもたらした地方文化の興隆によって輩出した福沢諭吉や田能村竹田に思いが及ぶ」「ぬううう」

続いて関アジの琉球を出す海原。「細切りした関アジをゴマをすって、醬油、みりん、酒、ダシ汁を加えたものに半日漬け、それを飯の上に乗せたものだ。この琉球の名の言われだは、沖縄出身の漁師が始めたなどあるが諸説ある。しかしこの大分の地が昔から沖縄と交流のあったことがわかる。それでは大分の至高のメニューを味わってもらおう」「ぬう」

まず最初はこねりだと言う海原。「この苦瓜、東南アジア一帯からスリランカ、インドに至る地域で常食にされる。しかし日本ではあまりなじみないが、その苦瓜が大分では常食にされている。沖縄から東南アジアに広がる文化圏と交流のあった証拠だろう。しかもこの料理、別名オランダとも言う。この料理は大分の外国の交渉の長さと深さを思い起こさせる料理だと思う。これを大分の至高のメニューとして採るにあたり、味付けにベトナムのニョクマムを加えた」「ぬうう」

次は豊後牛のうれしの琉球だと言う海原。「大分は外国文化に解放的であると同時に、新しいものに挑戦する姿勢の強い風土を持っている。豊後牛は大正時代初めに島根県から雄牛を導入して始まり、たちまちその名が全国に知られるようになった。その肉を琉球のように細切りんして飯の上に乗せ、うれしので茶をかける代わりに牛肉から作ったコンソメスープをかける。うれしのは大分の小藩分立の歴史を物語るもの。琉球は大分が東南アジアの文化を受け入れたことを物語るもの。豊後牛は進取の気性を持つ風土であることを物語るもの。その3つを合わせた豊後牛のうれしの琉球は大分の歴史と文化の一面を捉えているはずだ」「ぬううううう」

審査の結果を発表する審査員。「究極のメニューは大分の地域の特色と食文化を結び付け、至高のメニュー側は大分の歴史文化と食文化を結び付けた。だから引き分けだ」