林昌樹は興誠高では、1997年の3年夏の静岡県大会の決勝で浜松工敗れ準優勝で、1997年ドラフト3位で広島東洋カープに入団します。
2001年に一軍で初登板を果たし、2003年10月12日のヤクルト戦で、セリーグ初となる1球でプロ初勝利を飾り、2006年は自己最多の61試合に登板し、開幕から10試合以上防御率0点台を保つなど、前半戦はリリーフエースとして重要な役目を果たし、6月24日の横浜戦で1球敗戦投手となり、史上2人目となる1球勝利・1球敗戦を両方記録した投手となります。
2007年は中継ぎとしてリードしている試合に多く登板し、2008年は17試合の登板に留まり、2009年は中継ぎの一角として46試合に登板するも、2010年は26試合の登板に留まり、2011年は2試合の登板に終わって現役引退し、通算276試合に登板して7勝10敗1セーブ37ホールド防御率4.14をマークしたわけです。
10位は1試合に登板して0勝0敗0セーブ防御率6.00をマークした2001年。9位は2試合に登板して0勝0敗0セーブ0ホールド防御率0.00をマークした2011年。8位は5試合に登板して0勝0敗0セーブ0ホールド防御率7.38をマークした2005年。7位は13試合に登板して1勝0敗0セーブ防御率2.81をマークした2003年。6位は17試合に登板して0勝0敗0セーブ3ホールド防御率4.50をマークした2008年。
5位は26試合に登板して0勝1敗0セーブ1ホールド防御率5.96をマークした2010年。4位は46試合に登板して0勝2敗0セーブ5ホールド防御率4.28をマークした2009年。3位は47試合に登板して1勝1敗1セーブ防御率4.14をマークした2004年。2位は61試合に登板して2勝4敗0セーブ12ホールド防御率3.58をマークした2006年。1位は57試合に登板して3勝2敗0セーブ16ホールド防御率3.54をマークした2007年となるわけです。