山下和彦ベスト10 | ロロモ文庫

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山下和彦は柳ヶ浦高では3年次の1980年に夏の大分大会で決勝に進むが、大分商に敗れて甲子園出場を逸し、高校卒業後は1981年に新日本製鐵大分へ入社し、1984年の都市対抗に控え捕手として出場し、日本通運との1回戦では代打で適時打を放つなど活躍し、準々決勝に進出するが、この大会に優勝した日産自動車に惜敗し、同年ドラフト4位で近鉄バッファローズに入団し、1987年は116試合に出場し、1988年は自己最多の117試合に出場し、1989年には規定打席未満ながら自己最高の打率2割6分2厘、自己最多の20二塁打で、9年ぶりのリーグ優勝に貢献してベストナインにも選出されます。

1994年オフに金銭トレードで日本ハムへ移籍し。移籍後は主に若手投手やキップ・グロスが先発時のスタメンや8回以降のリリーフ捕手として活躍し、1998年限りで引退し、通算910試合に出場して、2割1分8厘30本塁打159打点5盗塁をマークしたわけです。

10位は33試合に出場し2割1分9厘1本塁打11打点0盗塁をマークした1993年。9位は71試合に出場し1割2分9厘0本塁打4打点0盗塁をマークした1991年。8位は72試合に出場し1割8分7厘0本塁打5打点0盗塁をマークした1996年。7位は72試合に出場し2割0分5厘0本塁打6打点1盗塁をマークした1995年。6位は70試合に出場し1割7分8厘4本塁打12打点1盗塁をマークした1986年。

5位は81試合に出場し2割1分6厘1本塁打7打点0盗塁をマークした1997年。4位は87試合に出場し2割3分6厘4本塁打22打点0盗塁をマークした1990年。3位は116試合に出場し2割1分7厘6本塁打24打点0盗塁をマークした1987年。2位は117試合に出場し2割2分6厘8本塁打29打点2盗塁をマークした1988年。1位は113試合に出場し2割6分2厘6本塁打35打点1盗塁をマークした1989年となるわけです。