小池兼司ベスト10 | ロロモ文庫

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小池兼司は浜松商では3年次の1956年、春の選抜に遊撃手として出場しますが、2回戦で県尼崎高に敗退。高校卒業後は1957年に専修大学へ進学し、東都大学野球リーグでは在学中に4度の優勝を飾り、リーグ通算85試合出場、272打数69安打、打率2割5分4厘、2本塁打、28打点、ベストナイン(遊撃手)3度受賞で、大学卒業後に南海ホークスに入団します。

ルーキーイヤーの1961年は5月13日の大毎戦で9回裏に三塁手で初出場し。翌日の大毎戦では8番打者・三塁手として初先発出場を果たし、5月21日の近鉄戦で初打点、7月6日の大毎戦では9回裏にディック・ディサから2点本塁打を放ち、初本塁打を記録。8月には広瀬淑功が中堅手に回り、その後継として遊撃手の定位置を獲得し、最終的に9本塁打を記録します。

2年目の1962年に初めて規定打席に到達すると、名遊撃手として活躍し、1960年代の3連覇を含む4度のリーグ優勝に貢献。3年目の1963年には113併殺で山田潔のの持つパ・リーグの遊撃手併殺記録を破って、同年は22本塁打を放ちます。1963年から1966年まで4年連続でベストナインに選出され、1964年から1968年まで5年連続でオールスターゲームに出場し、1964年の阪神との日本シリーズでは全7戦に遊撃手として先発出場し、23打数8安打を記録して6年ぶりの日本一に貢献すると、シリーズの技能賞を獲得します。

1968年には7月18日の阪急戦で、史上134人目の通算1000試合出場を達成し、遊撃手連続守備機会無失策218回という当時の日本記録を樹立。オールスターゲームでは7月25日の第3戦では途中出場ながら3安打、江夏豊から3点本塁打と島田源太郎からサヨナラ三塁強襲安打を放ってMVPを獲得します。

1971年7月15日の西鉄戦で史上64人目の通算100本塁打を記録。1974年4月17日の太平洋戦で、史上46人目の1500試合出場を達成し、5月5日のロッテ戦で、史上86人目の1000安打を達成して、同年限りで引退し、通算1536試合に出場して、2割2分6厘104本塁打473打点113盗塁をマークしたわけです。

10位は94試合に出場し1割9分4厘4本塁打26打点1盗塁をマークした1970年。9位は98試合に出場し2割0分3厘2本塁打25打点2盗塁をマークした1969年。8位は98試合に出場し2割0分9厘9本塁打25打点7盗塁をマークした1961年。7位は126試合に出場し1割9分4厘7本塁打31打点5盗塁をマークした1967年。6位は132試合に出場し2割1分5厘7本塁打48打点6盗塁をマークした1966年。

5位は136試合に出場し1割9分3厘13本塁打44打点3盗塁をマークした1968年。4位は133試合に出場し2割3分0厘8本塁打43打点24盗塁をマークした1962年。3位は137試合に出場し2割6分8厘17本塁打63打点12盗塁をマークした1965年。2位は149試合に出場し2割6分0厘10本塁打57打点30盗塁をマークした1964年。1位は149試合に出場し2割3分8厘22本塁打65打点20盗塁をマークした1963年となるわけです。