さびしんぼう | ロロモ文庫

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(僕はお寺の息子だ。父の名前は道了。僕にとっては得体の知れない大人という生き物の代表のような人物だ。無表情で何を考えてるのかわからずお経ばかりあげている。母上の名はタツ子。僕の顏を見れば勉強しなさいとばかり言い、女性らしいうるおいのかけらもない。子供の頃から美しい夢など一度も見たことなどないのだろう)

(僕の憧れは明海女子高の彼女。相手にしてくれなくていい。僕は彼女を見ているだけで十分だ。彼女が放課後になるとこの教室にやってきて必ずピアノを弾くことに気づいたのは、この秋のことだ。彼女が僕のさびしんぼうだ。彼女を見てるとなぜだが僕の心がきゅんと寂しくなってしまうのだ)

ピアノの練習をしなさいと言うタツ子に俺は寺の息子だと言うヒロキ。「どうせなら木魚とを打つ練習をした方がいいと思うけどね」「教養よ」「どうして俺にピアノの練習をさせたいわけ?それもなんで「別れの曲」なの」「名曲だからよ、ショパンは」「ふうん」

私のアルバムをめちゃめちゃにしたでしょうとヒロキに聞くタツ子。「アルバム?」「大掃除の時よ」「あ、あれか」「写真があっちこっちに行って整理できない」「俺は整理しなおしてやるよ」「大きなお世話。あんたなんかに私の清らかな青春を汚してほしくないわよ」「清らかな青春ね。ところでおふくろさんの青春ってどんなんだったの」「私の青春?そうねえ。そんなことよりまた成績が下がるとお小遣い減らすわよ」

ピアノの彼女のことを考えるヒロキの前に現れるピエロのような白塗りの少女。「なんだお前」「さびしんぼう」「どこから俺の部屋に入ってきた」「ちょっとしたコツよ、それにしても、あんたはいつもがみがみやられてるのね。本当はあんな人じゃないんだけどね」「誰が」「あんたのお母さん」「お前知ってるのか」「もっとおおらかだったんだけどな」

私は高校2年生と言うさびしんぼうに触ってもいいかと聞くヒロキ。「いいよ」「ホントにいるんだな」「幽霊だと思った?」「いや」「これ、クリスマスプレゼント?」「ああ」「誰に?」「さびしんぼう」「私に?」「バカ。お前じゃないよ。本物のさびしんぼうの方」「そうよね。でも私も一度でいいからそんなプレゼントをもらってみたかった。じゃあね」「行っちゃうのか」「だって冬休みのお勉強があるんでしょ」「お前までおふくろの真似をするのか」「そうよ。お勉強が終わったらピアノの練習もね」「え」「私、勉強ができて「別れの曲」が上手に弾ける子が大好きなのよ」「おまえ」

自転車のチェーンが外れて困っているピアノの彼女に僕は直しましょうと言うヒロキ。「ありがとう。助かります」「いや、いいんです。実は僕、ピアノを弾いてるあなたをずっと見てたんです」「ピアノを?」「学校の教室で。僕はいつもあなたのピアノに合わせて歌ってたんです」「……」「あなたの横顔はいつもこっちだったから、こっちの方がしっくりくるんです」「……」

「あなたの名は」「百合子です。橘百合子」「僕、井上ヒロキです。でも「別れの曲」うまいんですね。僕も母に勧められてレッスンしてるんですけど」「お母様に?」「僕は坊主の息子ですから、ピアノなんかしてもダメですけど。僕のうち、西願寺です」「あの大きなお寺の」「木魚ならうまいんですけど」私はピアニストになるのが夢だと言う百合子。「でもダメ。放課後で1,2時間レッスンするくらいじゃ、とてもピアニストにはなれないわ」

玄関に置いてあったプレゼントがあったとチョコの入った包みをヒロキに渡すさびしんぼう。<この間はとても嬉しかった。でもこれってきりにしてくださいね。心の中に想い出、しっかりしまっておきます。ごめんなさい。さよなら>という百合子のメッセージを読むヒロキ。

「百合子さん」「橘百合子。これがあんたの本当のさびしんぼうなのか」「悪いけど、俺を一人にしてくれないか」「いいよ。どうせもうじき私はいなくなるんだから」「お前、引っ越すのか」「ううん。実は明日、私の誕生日なのよ。17才になっちゃうから。この私は16才の私なの。17才の私にはなれないの」「どういうことだかわかんないよ」「いいのよ。失礼しました」「おい、一つだけ教えろよ。お前どうしてさびしんぼうなんだ」「これ舞台衣装なの」「芝居やってのか」

「創作劇だよ、私の。一人の女の子が素敵な男の子に恋をして失恋するの。男の子はピアノがとても上手なの。それで別れの時に「別れの曲」を弾いてくれるの。そのメロディーを女の子は一生忘れないの」「一生か」「そう。そして女の子は別の平凡な男の人と結婚して、その男の子とそっくりな子供を産むの。人を恋することはとてもさびしいことだから、だから私はさびしんぼう。でもさびしくなんかない人より、私はずっと幸せよ」「……」「じゃあね、あんたもあんたのさびしんぼうをしっかりね」

随分上達したなとヒロキに言う道了。「別れの曲」「わかるのか、父さん」「母さんと見合いした時、いきなり聞かれたんだ。「あなた、ピアノお弾きになります?ショパンの「別れの曲」ご存知ですか」と。ショパンと言ってもアンパンしか思い出さないお父さんだ。だが、母さんがいつも口ずさむからいつの間にか覚えてしまった」「……」「明日は母さんの誕生日だ」「そうか。忘れてた」

「42才だ、母さんも。父さんと一緒になっていつの間にか20年だ。実は父さん、記念に「別れの歌」のオルゴールをプレゼントしようと思っていたが、もうその必要はあるまい。お前のピアノで十分だし、その方が母さんも喜ぶだろう」「父さん、どうして母さんはそんなに「別れの曲」が好きなの」「きっと昔の素敵な想い出があるんだろう。父さんは母さんの全てを気に入ったんだから、その想い出も大事にしたいと思う」「……」「ヒロキ。お前は人を好きになったことがあるか」「え」「思い切り好きになれ。その人の喜びも悲しみもみんなひっくるめて好きになれ」

もうお会いしないはずだったのにと言う百合子に「別れの歌」のオルゴールを渡すヒロキ。「このクリスマスプレゼントは君と初めて話す前に買っておいたものなんだ。だから渡しておきかたった」「素敵ね。ありがとう」「僕のほうこそチョコレートありがとう。その着物素敵だよ」「ありがとう。母の形見です」「形見?」「ヒロキさんのお母さんは?」「うん。勉強しろってうるさくって」「そう。素敵ね。じゃ、さよなら」「……」「あなたが好きになったのはこっちの顔でしょ。どうか、こっちの顔だけを見ていて。反対側の顔は見ないでください。プレゼント、どうもありがとう。さよなら」

タツ子に誕生日おめでとうと言うヒロキ。「ありがとう」「何見てるの」「変なのよね、この写真」「あ、さびしんぼう」「そう、さびしんぼう。写真の裏に書いてあるわ」「さびしんぼう。田中タツ子。16才」「そう、つまり昔の私なのよね」「この写真、どうしたの」「落ちてたの、ここに」「じゃあ、大掃除の時にばらまいた写真が」「風に吹かれて、うちじゅうぐるぐる飛び回っていたのね」

「ねえ、母さん、昔、俺じゃないヒロキって子、知ってた?」「……」「勉強ができて「別れの曲」が上手に弾けるヒロキって子」「さあ。昔のことってよく覚えているようで覚えてないもんね。でも今の母さんは勉強ができなくて、「別れの曲」が上手く弾けないヒロキって子が大好きよ」「でも、この写真のようなヘンテコな女の子、僕は好きだな」「それはね、男の子はいつでも母親に恋しているものなのよ」

(その時、僕が考えていたのは17才の時の母上の写真をアルバムからはがして、庭の風に飛ばしてみようかってことだった。だがいつのまにかそんなことを忘れて年を重ねてしまった。それでよかったのだろう。そうでなかったら僕は永久に大人になれなったのだから)

(そして時が経ち、僕はいつか大人である。親父殿にそっくりな何を考えてるのかわからない無表情さも身に着いた。毎日お経を読む僕のかたわらには、なぜか百合子さんそっくりの女性が、もう一つの横顔を見せて座っている。そんな日があるとすれば、あの甘美な「別れの歌」のメロディーが流れているに違いない。さびしんぼうよ、いつまでも)