作:雁屋哲、画:花咲アキラ「美味しんぼ(356)」 | ロロモ文庫

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忘れられない刺激

欧米で大成功し、東京で行われるショーのために一時帰国したファッションデザイナーの赤座恭子は、取材する山岡と栗田が究極のメニューの担当者と知って、教えてほしいことがあると言う。「20年以上も前に食べたものだけど、それが何か思い出せないの。薬草か香草の類だと思うの。独特の香りがあって、神経をなだめる作用があるの」「薬草か香草?」

「そのころ、私は学生でデザインに興味があったけど、自分の才能がわからず苛立ってた、で、外国で全然違う環境に身を置けば、自分は何者か発見できると思ったの。その頃つきあっていた彼は私が外国に行くと言うと、最初は反対したけど、すぐに頑張ってこいと励ましてくれ、出発する一日前に一緒に食事をしたの」

「二人とも貧しかったから、場末の大衆食堂でビールを飲んで、魚のフライか何かを食べて。その時に彼がお店の人に頼んで来てもらったのが、その薬草か香草なの。彼は言ったわ。「君は頭と神経を使い過ぎて疲れている。これを食べるといい。神経が休まるよ」食べてみると、刺激的な味と香りがしたような気がする。でもはっきりしないの。色は緑じゃなく何か薄く刻んであって、名前も教えてもらったと思うけど、忘れてしまって」「その方とは?」

「しばらくは手紙のやり取りをしてたけど、私はデザインに熱中して、彼に手紙の返事を出さなくなり、いつの間にか」「……」「ファッションデザイナーはきつい仕事なの。特にショーが近づくと、ほとんど夜眠る間もなくて、神経はズタズタになる。そんな時、最近ふと思い出すの。彼が私に食べさせてくれたあの香草のことを」「……」

「あれを食べてみたい。神経の休まる香草を。あんなに優しい人を私は。若さゆえの愚かさだわ。自分にとって本当に大事なものを捨ててしまうなんて」「食べたのはどの季節ですか」「ちょうど今頃、夏の終わりだったわ。お願い、それが何なのか知りたいの」「そうですね。ではその男の人を探してみましょう」

山岡と栗田は赤座の恋人だった石野を見つけるが、香草をあげたことを覚えていないと言う。「そんなことあったかなあ」「でも、20年以上も前のことですもの。忘れるのも不思議じゃないわ」呟く山岡。「忘れる。刺激の強い風味。薄く切ったような形。色は緑じゃない。むうう、わかったぞ」

岡星に赤座と石野を連れて行く山岡と栗田。「今日は赤座さんと石野さんの思い出の料理を召しあがっていただきます。では、岡星さん」「はい」「おや、これは」「ミョウガ」「ミョウガの梅酢漬けです」「ああ、これよ。これだわ。この刺激の強い香り。苦くて舌をちょっとしびれさせるような味。まさにこれよ」「へえ。ミョウガをね」「でも、こんな形ではなかったわ」「さて、赤座さん、これなんですけど」

「ああ、これだわ」「ミョウガを薄切りにし、水でさっとさらして、カツオブシを削ったものをふうわりとかけました」「これなのよ、石野さんが食べさせてくれたのは。私、それまでミョウガって食べたことがなかったから、この独特の香りと苦味に物凄い強い印象を抱いたの。神経も休まった気がしたわ」「そうか。こんなものを食べさせていたのか。すっかり忘れていたのよ」

にやりとする山岡。「俺が石野さんが赤座さんに食べさせたのはミョウガに違いないと思ったのは、忘れたと言ったからですよ。刺激的で独特の味で緑色でなくて、赤座さんが食べたのは薄切りになっていたと言う。そんな薬草や香草を考えつくのは難しかった。でも二人とも肝心なことを忘れたと言うのを聞いた時、ピンと閃いた」「そうね。ミョウガを食べると忘れっぽくなると言うわ。だからあまり沢山食べちゃいけないと」

説明する山岡。「ちゃんと断っておかないといけかないけど、ミョウガを食べるともの忘れすると言うのは俗説で、科学的根拠はない。ただ昔から言い伝えられてるだけだ。香りも刺激的で味もアクが強いから、頭に響くなどと考えて、そんな俗説が出来たんじゃないのかな。その説を敷衍して、もの忘れすることは心から余計なものを流し去る。すなわち、神経を休めると言われることもある」

「うん、私はそれはあると思いますね。余計なことを洗い流すから神経が休まる」「それを私に勧めてくれたのね。長い間、食べたいと思っていたものが食べられて嬉しいわ。ヨーロッパにいたのではミョウガに再会できなかったのも当然ね」「私もあの時のことを全て思い出しせて嬉しい。恭子さん、20年以上の月日は忘れて」「そう。青春のやり直しね」