作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(342)」 | ロロモ文庫

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ラーメン戦争(5)

カン水とは何かと橋田と春代に聞く乃士。「え、それは、中国で昔から麺に入れていたもので、何やらどこかの湖で取れるとか」「私はなんとなく中華麺に入っていることに決まっているものであると」「では、カン水は何のために麺に入れるんですか」「それは麺のコシを出すためでしょう」「中華麺のあのちぢれもカン水を入れるから生まれるんでしょう」「麺のコシはカン水を入れなくても出ます。それに麺のちぢれをカン水とは関係ないのです」「え」

コシについて説明する山岡。「麺のコシは塩だけで充分に出る。うどんもコシを大事にするけど、カン水は使わないよ。蛋白質に塩を加えて練ってやると、粘り気が出てくる。魚の肉に塩を加えてよく練ってやると、粘り気が出てネットリとなる。それを蒸してやると、シコシコと歯ごたえのよいカマボコになるのは、ご承知の通りだ。うどんもカマボコと同じだ。うどんの場合、小麦粉の蛋白質が塩と反応して、シコシコした麺になる。だからコシを出すだけなら、カン水は必要ない」

「小麦粉の場合、グリアジンとグルテニンと言う二つの蛋白質がある。それが水を吸うと結合して、互いの分子が絡まり合って、粘り気のあるグルテンと呼ばれるものになる。塩はグジアジンを溶かして粘り気を出すので、出来上がったグルテンが粘り気の強いものになり、結果として麺のコシが強くなると言う訳だ」

麺のちぢれについて説明する乃士。「カン水は小麦粉の蛋白質自体を固く引き締める作用があるけれど、それは分子の単位の話であって、麺の状態にした時に麺がひとりでにちぢれると言うことでありません。麺をちぢれさせるためには、出来上がった麺を手で揉んだり、切った麺が波立つように、製麺機に細工をしたりしてるんです」

ぬうと唸る橋田。「コシを出すのにも、ちぢれさせるのにも、カン水は必要ないだなんて。じゃ、いったいカン水って何なんでですか」「あ、誤解なさらないでください。カン水がなくても麺のコシが出るのは確かなんですが、カン水が麺のコシを出すのも確かなんです」「へ」「だから言ったでしょう。カン水は解答不能の謎を投げかけると」「ぬうう。そもそも、カン水の中味は何ですか」

「カン水とはアルカリ性の物質ですが、中国では麺に入れるカン水には、鹸水の字を使っています。だから本当はカン水ではなく、ケン水と言うのが正しいのです」「中国の内陸部には塩水の湖が多い。そういう湖に岸辺や干上がった川の川岸に、アルカリが結晶して固まる。それを鹸と言う。中国人はそれを切り出して、洗濯に使う」「あ。今でも石鹸と言うのは、そこから来てるのね」

「で、その鹸を水に溶いたのが鹸水。日本でいうカン水なんだ。そこまではいいが、どういうきっかけで、麺を練る時にカン水を入れるようになったのかがわからない。ま、なんのきっかけで入れ始めたのかわからないが、入れてみたら麺にコシが出たので、それ以来、カン水を入れることが続いているわけだ」

カン水の成分を説明する乃士。「昔は中国から輸入した天然カン水を使ってましたが、不純物の問題もあるので、今は食品衛生法で、合成カン水を使うように決められています。天然カン水の有効成分を化学的に合成したもので、炭酸ナトリウム、炭酸カリウム、重合リン酸塩だけが中に含まれることを許されています。水で薄めるとアルカリ性になります」

ここで実験をすると言う山岡。「イ、ロ、ハの三つの瓶にカン水が入ってます。乃士さん、それぞれ別に麺を打ってください」「へえ。それぞれ違うカン水なんですな」「カン水の違いで何かがわかると言うのね」

三つのカン水で乃士が作った麺を食べる栗田たち。「イの麺は普通の中華麺と変わらないね。歯ごたえも匂いも普通だ」「ロの麺はちょっと違う。あの匂いがない。歯ごたえもイの麺より弾力がある」「ハの麺はひどい。ぶつんぶつん固いだけで、しなやかなコシが何もない」「山岡さん、いったい何をしたのよ。教えて」

説明する山岡。「まずカン水の成分についてもう一度考えてもらいたい。炭酸ナトリウム、炭酸カリウムと言うアルカリ物質と重合リン酸塩の二つに分けられる。イのカン水は、カン水の成分を全部含んだ物。ロは重合リン酸塩だけ含んだ物、ハは炭酸カリウムと炭酸ナトリウムだけを含んだものだ」

「え。と言うことは」「中華麺にしなやかなコシを与えていたのは、カン水のアルカリ成分でなくて、重合リン酸塩だったのね」「その通り。重合リン酸塩は蛋白質を溶けやすくする力がある。結果として、グリアジンとグルテニンが非常に緊密に絡まり合って、柔軟で弾力のあるグルテンが出来る。だからシコシコしたいい歯ざわりになる」「炭酸ナトリウムや炭酸カリウムにはそんな力はないのね」「アルカリは蛋白質をギュッと縮ませる。固くはなるけれど、柔軟性は与えない」「ううむ。カン水の謎を解けて来たようだぞ」

カン水の謎を解く山岡。「昔は小麦粉の精製技術が低くて、上質の粉が手に入りづらかったから、塩だけではなかなか粘り気のある生地をこねることは難しかった。そこにカン水を入れてみたら、非常によく粘るし、茹でた後も歯ごたえがいい。塩と重合リン酸塩を併用すれば、蛋白質をとてもよく溶かして、より良いグルテンを作るからだ」

「彼等の本当の目的は、よく伸びる生地、コシのある麺を作ることだったから、本当はカン水の中の重合リン酸塩だけでよかった。でも化学的知識のなかった昔だから、カン水の中から重合リン酸塩だけ取り出すことは考えもつかず、またその技術もなかった。それでわけのわからないまま、カン水全体を使ってきた」

「それじゃ炭酸ナトリウムと炭酸カリウムは余計なものだと言うのか」「これは新説だな。確かにアルカリは蛋白質をギュッと縮める作用はあるが、グルテンの網の目を均質に入り込ませて、均質に入り込ませて、しなやかにする力はない。それじゃ麺は固くなるだけで、しなやかなコシは生まれない」

「やっぱりアルカリ分は麺のコシを作るのに必要がないのね」「このアルカリの味はスープに苦味を与える。ラーメン屋で化学調味料を沢山使うところが多いのは、無意識のうちにこ苦い味を抑え込もうとするからだ」「じゃ、カン水を使わないと、化学調味料を使わないで済む澄んだスープが作れますね」

重合リン酸塩もいらないと言う山岡。「これは骨や歯を弱くしたり、健康のためによくないことがわかっている。現在の製粉技術なら、重合リン酸塩を使わずに、塩だけで充分なコシを引き出せる上質な小麦粉が作れる」「それじゃ、カン水なんか、まったく使う必要がない」「ああ。解答不能と思っていたカン水の謎が簡単に解けてしまった」「同時に流星一番亭に対する作戦の基礎が立ちました。流星一番亭に勝る素晴らしい麺を作るには、カン水を捨てて、もっと純粋で豊かな味で、歯ざわりも素晴らしい麺を作るんだ」