作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(282)」 | ロロモ文庫

ロロモ文庫

いろいろなベスト10や漫画のあらすじやテレビドラマのあらすじや映画のあらすじや川柳やスポーツの結果などを紹介したいと思います。どうぞヨロピク。

鍋対決!(4)

なんでも鍋について説明する山岡。「鍋の中に入っているのはただの水です。いろいろな材料を入れていくうちに、材料から良い味が出てきます。ただの湯がどんどん美味しいスープに仕上がっていくのを味わうのも、なんでも鍋の楽しみの一つです。鍋料理のもう一つの楽しみはタレと薬味で、多数そろえており、実際に召し上がる時にご紹介したいと思います」

「大根を早めに鍋の底に沈めておくと、よく煮えた頃には、ほかの材料から出た旨味をタップリ吸うのは、皆さまご承知の通り。まず刺身にしても旨い仔羊の肉の薄切りを、しゃぶしゃぶの要領で湯の中で泳がし、赤ワインのタレに青唐辛子を漬けた酢を垂らしたもので食べます」「ぬう。旨そうだ」

「豚肉はよく煮ないとよろしくないから、鍋の中に入れます。豚肉と海老肉の団子、白身魚の練り物、肉とニラ、シイタケの団子、これも鍋の中に入れておきます。キンメの薄切りを中華料理のしゃぶしゃぶで使う手網に入れて、ゆすってやる。それをゴマ油、醤油ベースのタレで食べる」「ぬう」「同じ白身でも今度はヒラメだ。タレはスダチを入れたポン酢。ではさっき入れた団子が出来たこと。そして合鴨をここらで」「ふ、ふざけるな。いつまでお預け食わせる気だ」「食べるぞ」

「む、合鴨は生醤油に大根おろしがいいな」「この白身魚の練り物。キムチの微塵切りを添えて食べると呆れるほどの珍味だ」「餃子もスープをたっぷり取って、赤酢と醤油で食べると、普通の水餃子とは別物の美味しさ」「スープの味が濃厚になると、アンコウの癖のある風味がいい具合にこなれてくる」

「ちょっと、この仔羊の肉をね、私のこのタレで食べてごらんなさい」「じゃ、私のタレと味の比べっこですな。こりゃ愉快だ」「ワンタンに鍋ってのは考えたね。複雑によく出た鍋の汁でワンタンを食べると、中華料理屋のワンタンが間抜けに見えますな」「海老を鍋の中でゆすって、醤油とゴマ油と長ネギのタレでいただくと、もう最高」「その海老、カレールウでダシをといたこのタレで食べてごらん。とても懐かしい味だ」

「君はそうやってじっくり煮るのが好きなのかね」「社主はしゃぶしゃぶ風に材料を鍋の中で泳がせて召し上がるのがお好きですな」「それが、このなんでも鍋の利点の一つなんですよ。じっくり煮るのが好きな人もしゃぶしゃぶ風が好きな人も同時に楽しめるでしょう」「うむ。みんなが満足できると言うわけだな。また、手網を使うのも具合がいいな。小泉君みたいにじっくり煮る派は煮えた物を手網に入れてやれば、鍋の汁を汚さないわけだ」

「山岡さん、このなんでも鍋、好評ですね」「はい。我々は日本中の鍋料理を集めて検討し、鍋の真髄をここに集めたんです。鍋料理は人の心をくつろがせ、初めての人同士でも仲良くさせることが大事です。そのためにはもったいぶることは禁物、高価で高級な物も人の心を自由にしないから禁物。誰でもどこでも鍋を囲みたいと思ったら、すぐに買い集められる物が一番」

「このなんでも鍋はどう食べようと個人の勝手。タレも薬味も自分の好みで調合すればよい。大事なのはもてなしの心です。お客の心に負担をかけないことです。たかが鍋だ、遠慮するなよ、くつろいで食べてくれ。もったいぶらずにそう言える鍋であるべきです。材料はありきたりの物で、ご馳走になる人の心に負担をかけることはないが、その材料と吟味と下ごしらえには心をこめる。これが全ての基本です。決まったやり方も作法も押し付けない。心の隅々までくつろいでもらえる自然体。それが鍋料理の真髄だと思います」

「なるほど、くつろいでもらうことを大事にする。それが鍋料理だと言うのですね」「はい。なんでも鍋は材料を極めるのでもなく、調理法の洗練度を極めるのでなく、もてなしの心を極めたのです。我々はこのもてなしの心を特別審査員である辺貫先生に教わったのです」キョトンとする辺貫を見て、まずいと動揺する京極。(山岡はん、辺貫老人の茶のもてなしの心を誤解しとる)

ははははと笑う海原。「これがもてなしの心とは笑止千万」「なに」「士郎、お前たちの考え方の基本が間違っている」「なんだと」「士郎たちに辺貫先生の思想は高級すぎてわからなかったようです。もてなしの心を変な風に取り違えてしまった」「どういうことだ」

「私は以前、辺貫先生の茶席にお招きいただいて、そのおもてなしの真髄を味わうことができた。その真髄は何物にこだわることのない素直で透明な心。それが先生のおもてなしの心だ。ところが、究極の鍋料理、もてなしの心を極めたとほざいたが、そのもてなしの心たるや、先生のおもてなしの心とは大違い。こだわりだらけで濁り切っている」「……」

「最初、至高と究極の対決で鍋料理が出た時、私は鍋料理は郷土、家庭により、それぞれ気に入りのものがあるから、どれか一つの鍋料理を至高だ究極だと言っても納得するだろうか、と言った。究極の側はその私の言葉に心から怯えたらしい。その結果、万人に気に入られようと、その一点にこだわった。辺貫先生のおもてなしの心を誤解したのも、そのこだわりがあったからだろう」「うう」

「究極のなんでも鍋とやらがどうしてダメなのか。至高の用意した鍋料理を味わえばすぐにわかる。私は誰もが喜んでくれる鍋料理を用意すると申し上げた。その言葉に嘘がないことがわかるだろう。ただ究極の側は鍋たった一つを用意したが、我々は違う。我々が用意したものは五つ。至高の五大鍋」