作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(247)」 | ロロモ文庫

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日本料理の理

外国生活の長い評論家の片山の出版記念パーティーに出席した栗田は、片山から君は究極のメニューの担当記者かと聞かれる。「はい、そうですか」「私は以前から言いたいことがある。究極のメニューは日本料理を取り上げることが多いね。日本料理なんてくだらん。やめたまえ」「え」

「考えてみたまえ。料理の料は材料のこと、理は調理の技法の数々のことだ。従って、料理とは、材料をいろいろと技を尽くして、調理して、作品としての食べ物に仕上げることだ。ところが、日本料理の場合、材料の味を大事にすると言えば聞こえはいいが、その実、材料その物を何の芸もなく、そのまま出すだけのことが多い。それじゃ料理と言えないよ」「はあ、そうでしょうか」

「むう、私の説に賛成できないと言うんだな。じゃ、刺身をどう思う。あれは料理か?あんなものは魚を切って並べただけじゃないか。粋のいい魚とよく切れる包丁があれば、誰でもできる」「私はお刺身は立派なお料理だと思います。調理の技も芸も十分なものがあってこそのお刺身だと」

「ぬう。私は20年以上かけて、日本文化と外国文化を比較してきた。その結果、日本料理は理の抜けた料だけだと言う結論に達した。君はその私の意見を否定するのかね」「はい。日本料理は料理でないと言う意見には賛同できません」「ぬ、ぬう。ではどうしてもお刺身がちゃんとした料理だと言う証拠を見せてもらおう」

岡星に行く山岡と栗田。「岡星さん。お刺身ってちゃんとしたお料理よね。魚を名人芸で切って並べただけの物じゃないわね。道理にかなった調理の技法と芸の工夫がこらせれているのよね」「はい。私は単に魚を切って並べるだけと言う仕事はしていません。確かにフランス料理や中華料理にように、火を使ったりはっきり目立ちやすい仕事ではありませんから、料理の芸や工夫をわかっていただくのは大変かもしれません」「どうすればいいのかしら」

「あ、いらっしゃいませ」「いえ、私は客じゃないんです。先日、この前を通りかかったら、京極さんが出てこられるのをお見掛けして」「ええ、京極さんには、ごひいき頂いておりますが」「そうですか、それで安心した。京極さんがごひいきなさるくらいなら、こちらのお料理の腕はかなりのものに違いない。これで、京極さんにお料理を作って差し上げてほしいんです」

「あら、これは何ですか」「手すきの和紙です。土佐の三つ又村のただ一人の職人だけがすくことのできる紙です。紙塩をする時に、この紙を使って頂きたいんです」「なるほど、紙塩に」「紙塩?」「栗田さん、片山さんに刺身が料理だってことを見せてあげることができるよ」「え。どういうこと、山岡さん」「秘密は紙塩にありだ」

なるほどと呟く京極。「刺身が立派な料理やちゅうことを、岡星さんの手で評論家の片山先生に納得していただこうちゅうわけか。日本料理のためにも、頑張ってもらわんとな。わしは、今日は立会人を務めるのが役目なんやな」「いいえ、京極さんも主役なんです」「え」

岡星に集まる山岡と栗田と京極と片山。「それじゃ、岡星さん、ぼちぼち始めてよ」「はい。鯛のお造りです」「ふうん。一方は皮なしだが、一方は皮つきだな」「皮の部分が松の木の肌に似ているので、松皮造りと言います」「むう、皮なしは普通の刺身だが、鯛の皮がこんなに旨いとは。ムチムチしてなんとも言えぬ歯ざわり」

松皮造りを説明する岡星。「三枚におろした鯛の片身を、皮を上にして置きます。その上にをガーゼで覆い、熱湯をかけてやります。ここの呼吸が大事です。時間をかけ過ぎると、身が煮えてしまいます。これをすぐに氷水に入れて、余分の熱を奪い、乾いた布で手早く水気を拭き取ります」

さらに説明する栗田。「この松皮造りの目的は、鯛の皮を美味しく食べることにあります。鯛の皮自体、ゼラチン質に富んでるし、皮と身に間にも脂肪がついている。しかし、生のままでは皮が食べづらいし美味しくない。だから皮には熱を加えたい。それを解決するのが、今の松皮造りの技法なんです。皮の旨味は最大限引き出して、しかも身は生のままに保つことができます。材料を美味しく食べるための理にかなった技法と芸だと思いますが」「うぐぐ、まだまだ。この程度では調理とは認めない」

「では次はオコゼです。一方は平造り、一方はフグと同じ薄造りにしました」「平造りの方は弾力があり過ぎて、旨味が十分味わえん」「それに引き換え、薄造りの方は、ふわりと舌の上に広がって、なんとも気持ちのいい感触。歯ごたえもちょうどよい加減」

二本の包丁を片山に見せる岡星。「普通の平造りに使う柳葉包丁とフグひきです」「なんだい。二本とも同じ包丁じゃないか」「同じように見えますが、こうして包丁を立てて押すと、フグひきの方は、ぺなぺなと刃がしなるくらい、ずっと薄いのです。これくらい薄くないと、フグやオコゼの薄切りはできません」

さらに説明する栗田。「同じ魚でも、オコゼやフグのように身に弾力のあるものは、普通に切ったのではその魚の持つ美味しさを引き出せません。ところが薄切りにすると、別物のように美味しくなります。食べ物の味は化学的要素だけでなく、物理的な形状によって決定的に変わって来る理屈をよく知った上で、工夫と技術をこらした調理法だと思いますが」「うくく。まだまだ。この程度ではまだ料理とは言えない。切っただけじゃないか」

「それでは、京極さんのためのお料理です。鯛のお造りです」「鯛なら最初に出たじゃないか」「まあ、召し上がってください」「ううむ、確かに微妙に違うぞ。身自体にかすかに塩味がついている。それが鯛の甘さを引き出している」「さすがは片山先生、素晴らしい味覚をお持ちです」

ううむと呻く京極。「このほのかな香り。こ、これは、私の生まれ故郷、土佐の三つ又村の楮の香りや。岡星さん、あんた、この紙をそこで手に入れた。土佐の三つ又村の紙すき名人、小松治一のすいた土佐清帳紙や。いったい、どこで手に入れた」調理場から出てくる小松。「小松、このドアホが。わしがどれだけお前のことを探したことか」「も、申し訳ありません」

事情を話す小松。「私は和紙づくりを業とておりました。私の作る清帳紙は、色紙や書家の先生方の作品用の評判がよく、名人と呼ばれるようになりました。すっかりいい気になった私はバカな遊びや酒に溺れ、京極さんには散々お世話になりながら、お借りしたお金も返せず、夜逃げしてしまったのです。そんな私にも、まだ一片の紙すきの誇りがあったと見えて、会心の作の紙が出来たのですが、京極さんがこのお店をごひいきなさってると知って、ぜひその紙を使って頂こうと思って、お届けしたんです」

「そうやったんか。三つ又村は最高の楮の木がとれる土地や。その楮を使って、小松治一がすいた清帳紙で神塩にした鯛の造りは、世界一の味や。本来、紙の香りは魚に移ったら、とても食えんところだが、逆に魚の生臭さを押さえ、実に典雅な香りが旨味を増す。もう二度と味わえんと諦めていたが、今日こうして味わえるとは。小松、三つ又村に帰れ。とっくにわしが全て後始末してあるわい。あとはお前が帰って、紙すきを始めれば昔通りじゃ」「京極さん」

神塩を説明する岡星。「板の上に塩をまいて、その上に和紙を乗せます。水と酒を半々に混ぜて、霧吹きで和紙の上に吹きます。その上の鯛の片身を乗せ、さらにその上を紙で覆い、塩をまき、霧を吹きます、このまま2時間ほど置いてやると、ほんのりと塩味が鯛の身に沁み込み、甘味を引き出すことができるのです。懐石料理のお造りでは、よくこの紙塩を使うのです」

「ぬう、なんと手の込んだことを。塩をじかに撒いたのでは、微妙な塩味はつけられん」「いかがでしょう、この紙塩と言う技法。これでも調理と呼べませんか」「君は意地が悪いね」「は」「とっくに私が降参してるのはわかってるだろう、今までの全ては大変な技と芸だよ。刺身は世界に誇る料理です」「ありがとうございます」

しみじみ語る山岡。「魚を生で食べるのは、日本以外ではホントに珍しいからね。しかも生で言うと、野蛮に取られがちだ。しかし、魚肉や獣肉を生で美味しく食べるには、大変な技法と技が必要なんだ。魚肉を生でこんなに美味しく食べる調理法を見出した日本料理を、我々は心の底から誇りに思っていいね」「うむ、特に紙塩には感激したな。和紙でなければこの味が出ない。これは大変な文化だよ。ということで刺身料理は世界一の料理。日本文化は世界一の文化。これで文句なし。はははははは」