中嶋聡ベスト10 | ロロモ文庫

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中嶋聡は鷹巣農林高では、1985年秋季東北大会県予選準々決勝に進みますが秋田高に敗退し、翌1986年夏の甲子園秋田県予選も準々決勝で横手高に敗れ、同年のドラフト会議で阪急ブレーブスから3位指名を受けて、入団します。

1988年10月23日にダブルヘッダーで開催された阪急としての西宮球場最終戦であるロッテ戦で、ダメ押しとなる3点本塁打を放ち、同郷である山田久志の引退試合に花を添え、1989年に球団名がオリックス・ブレーブスに変わってからは、正捕手の座を掴み、1995年には佐藤義則のノーヒットノーラン(当時のNPB公式戦史上最年長記録)や11年ぶりのパシフィック・リーグ優勝に貢献し、1996年には、リーグ連覇と19年ぶりの日本シリーズ制覇を経験します。

1997年シーズンオフにFA宣言し、西武ライオンズへ移籍し、2000年5月20日に長野オリンピックスタジアムで初めて行われた古巣オリックス戦で、2回裏にテリー・ブロスから同スタジアムの公式戦第1号本塁打を放ち、2002年オフに富岡久貴と共に石井義人と細見和史との2対2の交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍します。

2003年は開幕戦で先発マスクを被りますが、結果を残せず、オフに金銭トレードで日本ハムファイターズへ移籍し、2006年は先発出場はわずか2試合ですが、守護神マイケル中村との相性の良さから、試合後半を任される「抑え捕手」の地位を獲得し、2010年4月2日の西武戦に7回途中から出場し、実働年数が24年となり、2011年4月13日の西武戦に9回表から出場、実働年数が25年となります。

2012年5月12日の西武戦で9回表に守備で出場し、実働年数が26年となり、野村克也、山本昌と並び、歴代2位(野手では1位)の記録となり、2013年9月28日のオリックス戦で、この年初めて一軍公式戦に出場し、野手としてのNPB一軍実働年数最多記録(27年)を達成し、2014年6月27日の楽天戦fで8回表から捕手として出場し、野手としてのNPB一軍実働年数記録を28年に更新し、2015年4月15日のロッテ戦で9回表に捕手としてこの年初めて一軍公式戦に出場し、工藤公康の持つ(投手を含めての)NPB一軍実働年数記録(29年)に並び、この年限りで引退し、中嶋の引退により、阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブスに所属した選手と、西宮球場時代に在籍した選手と、西宮球場、大阪球場、川崎球場でプレーした選手が全員引退し、通算1550試合に出場して、2割3分2厘55本塁打349打点27盗塁をマークしたわけです。

10位は74試合に出場し1割7分8厘2本塁打14打点1盗塁をマークした1988年。9位は72試合に出場し1割9分4厘0本塁打16打点2盗塁をマークした1999年。8位は73試合に出場し2割1分9厘2本塁打14打点2盗塁をマークした1997年。7位は78試合に出場し2割3分6厘2本塁打26打点0盗塁をマークした2000年。6位は98試合に出場し2割2分2厘1本塁打24打点1盗塁をマークした1996年。

5位は101試合に出場し2割6分7厘3本塁打33打点0盗塁をマークした1995年。4位は112試合に出場し2割4分9厘6本塁打33打点5盗塁をマークした1992年。3位は121試合に出場し2割3分4厘5本塁打26打点2盗塁をマークした1989年。2位は95試合に出場し2割8分3厘12本塁打39打点8盗塁をマークした1990年。1位は129試合に出場し2割5分3厘12本塁打48打点4盗塁をマークした1991年となるわけです。