作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(214)」 | ロロモ文庫

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カレー勝負(3)

田畑や花村たちにインドに行くと言う山岡たち。「インドではどこに行くの」「ボンベイとデリーだけど、その前にスリランカに行く。スリランカのカレーも美味しいからね。インドと並ぶカレーの本場だよ」私も一緒に行くと言う栃川。「カレーについての真実を知らないで、私はカレーショップを続けることはできません」

インド史の権威である東京大学の辛島教授を訪ねる山岡たち。「カレーと言うのは日本語で、本当はカリだね。タミル語、カンナダ語の共通の言葉で野菜や肉と言い意味を表わすカリという言葉がある。私はこれをスープの具と解釈することにした。スープをかけたご飯のことを、ポルトガル人がこれは何か、と質問した。インド人はスープの具のことを聞いてるのだと思って、カリと答える。ポルトガル人はてっきりカリを料理の名前だと思い、インド料理の総称をカリとしてしまったのではないか。これがカリの語源についての、私の新説である」「なるほど」

「従って、スパイスを混ぜ合わせた粉をカリと呼ぶのは、本来インド語ではない」「では、インドではカレー粉のことを何を呼ぶのですか」「スパイスを混ぜ合わせた物を総称する語は、インド語にはない」「と言うことは、カレー粉という概念そのものがないのね」「インド人は英国から逆輸入した形でスパイスを混ぜ合わせた粉をカリ、またはペルシャ語から入ってきたマサラと言う語を使う」「ガラン・マサラのマサラですね」「そう。ガランは辛いと言う意味だ」「なるほど」

「さて、カレーはインドを植民地にしていたイギリスを通じて、西洋に広まった。日本に入ってきた時も、インド料理ではなく、贅沢な西洋料理の一つとして、扱われたんだ」「カレーがインドからではなく、イギリスを通じて、日本に入ってきたところに、カレーの正統が何かをわかりにくくしてしまう理由の一つがあるのかもしれない」

「日本にカレーの料理法が初めて紹介されたのは明治5年のことだ。そして関東大震災後、合理化による西欧化が進んで、安くて旨いカレーはますます人気を高めていった。さらに日本軍が軍の食事にカレーを取り入れたのは、カレーを全国的に広げる一助となった。カレー粉も全て輸入品だったのだが、戦後の山崎峯次郎という人は、イギリスのC&Bカレーに負けないカレー粉を作るのに挑戦して成功している」「うむ」

「インドではスパイスの調合は自分の家でする。スパイスは粉にすると二か月くらいで香りが飛んでしまう。その都度、自分でひいて調合するのが本式だ」「そんなに家々で調合が違うんじゃ、一口にカレー粉なんて言えないねえ」「その点も、インドにはカレー粉がないと言うことの意味なのかもしれませんね」

「カレー粉はイギリス人が発明したものですよ。インドにはカレー粉はない」「その意味が、先生のお話を伺っていると、わかるような気がしてくるわ。カリと言う語自体が、インドのものではない。スパイスミックスを総称する語がインド語にはない。スパイスの調合は各家庭でする。これだけでも考える鍵になるわ」「確かに」

スリランカに到着した山岡たちを迎える商社の駐在員の白城。「まず市場に案内しましょう」すぐにカレー粉を発見する山岡。「スリランカにはカレー粉はあるのか」「黄色いのと黒っぽいのがありますね」「色の黒いのは炒めたカレー粉だそうです」「え、日本にはカレー粉を炒めると香りが飛ぶと言う人がいるぞ」「炒めた方は肉料理に使うそうです」「なるほど。香りをきつくして、肉の匂いに対抗するためだな」

スリランカのカレー料理にはモルジブ・フィッシュを使うと言う白城。「え、どんな魚」「モルジブ・フィッシュは魚屋にはありません」「じゃ、どこで売ってるんですか」「乾物屋で売ってます。これがそうです」「表面はボロボロだが、中はピカピカに光って。カツオブシと全く同じじゃないか」「日本のカツオブシみたいに燻製したりしませんが、カツオブシであることに違いはありません」「なんと。スリランカのカレー味の決め手がカツオブシだったなんて」