金城龍彦ベスト10 | ロロモ文庫

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金城龍彦は近大付高時代は投手で、同期の藤井彰人とバッテリーを組み、2年生の夏に、大阪大会決勝で松井稼頭央・福留孝介を擁するPL学園に勝利し、1993年の夏の甲子園大会に出場し、2回戦で金子誠を擁する常総学院に敗退し、高校卒業後は社会人野球の住友金属に所属し、1998年ドラフトで横浜ベイスターズからの5位指名を受けて入団します。

プロ入団を機に打者へ転向し、スイッチヒッターに挑戦し、2000年は7月に2度のサヨナラ打を含む月間打率3割9分8厘を記録し、初の月間MVPに選ばれた、8月18日の阪神戦で打率3割8分4厘で規定打席に到達し、そのまま閉幕まで打率トップを維持し、首位打者のタイトルを獲得して新人王に選出されますが、同時受賞はプロ野球史上初のことになりました。

2001年は2番打者としての要求が増え、球団記録となる43犠打を記録するなど繋ぎ役として活躍し、2003年は1番打者に起用されると、打撃も復調を見せ打率3割を記録し、16本塁打を記録するなど長打力も身につけ、オールスターゲームにも初出場を果たし、同年、1試合左右両打席本塁打を2回記録しますが、1年での記録はセ・リーグ史上初のことになりました。

2004年は2年連続となる打率3割を記録し、7月25日の巨人戦では9対9の同点の延長11回で久保裕也からサヨナラ2点本塁打を放ち、2005年も打率3割2分4厘と好調な成績を残し、7月14日の広島戦では5対5の同点の延長11回に高橋建からサヨナラ本塁打を放ち、3番打者としてロバート・ローズの球団記録にあと1本と迫る191安打を記録し、打点も自己最多を記録し、ゴールデンクラブ賞を初受賞し、2007年も2度目のゴールデングラブ賞を受賞します。

2012年4月1日の阪神戦で横浜DeNAベイスターズとしてのチーム第1号本塁打を打ち、9月14日のヤクルト戦で村中恭平から通算1500安打を達成し、2013年5月25日のロッテ戦で通算100号本塁打を達成し、2014年シーズン終了後に海外FA権の行使を宣言して、巨人に入団し、2015年は開幕から1番打者としてスタメンに起用された。古巣DeNAと横浜スタジアムで対戦した4月15日には、ギジェルモ・モスコーソから移籍第1号となる3点決勝本塁打を打ってチームの勝利に貢献しますが、一軍公式戦への出場は36試合にとどまり、この年限りの現役引退となり、通算1892試合に出場して、2割7分8厘104本塁打592打点40盗塁をマークしたわけです。

10位は108試合に出場し2割7分2厘3本塁打29打点1盗塁をマークした2011年。9位は118試合に出場し2割8分2厘9本塁打34打点1盗塁をマークした2009年。8位は136試合に出場し2割4分7厘9本塁打41打点0盗塁をマークした2008年。7位は138試合に出場し2割7分1厘3本塁打49打点10盗塁をマークした2001年。6位は144試合に出場し2割6分8厘11本塁打59打点2盗塁をマークした2006年。

5位は139試合に出場し2割8分4厘14本塁打66打点2盗塁をマークした2007年。4位は133試合に出場し3割0分2厘13本塁打52打点0盗塁をマークした2004年。3位は136試合に出場し3割0分2厘16本塁打40打点4盗塁をマークした2003年。2位は144試合に出場し3割2分4厘12本塁打87打点1盗塁をマークした2005年。1位は110試合に出場し3割4分6厘3本塁打36打点8盗塁をマークした2000年となるわけです。