作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(159)」 | ロロモ文庫

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不器量の魚

中松の行きつけの店である「犀」に栗田を連れて行く山岡。「あら、これなに。グロテスクね」「ゴリの甘露煮です」「ゴリって言えば、金沢近辺が有名よね」「はい。以前は金沢市内に流れる犀川と浅野川で獲れたんですが、最近、市内ではめっきり獲れなくなってしまいました」「森口さんは金沢の出身で、金沢独特の料理をいろいろ食わせてくれるんだ」

そこに現れた女を見て驚く森口。「邦子さん」「直さん、探したわ。お願いだから帰ってきて。大旦那はあの通りだし、精さんまで」「清治がどうした?」「交通事故で腰の骨を折ったの。三か月以上、調理場に立てません」「……」「直さん、まさか忘れやしないでしょう、金茶会のこと。もうじき金茶会の日が来るんです」

「帰って、旦那とおかみさんに言ってくれ、俺を裏切っておきながら、困ったから助けろなんて虫が良すぎると」「頼まれて来たんじゃないわ。私一人の考えで来たのよ。直さん、それだけの腕になったのは誰のおかげなの」「帰れ。帰ってくれ」今日は引き上げた方がいいと呟く山岡。「今のやり取りの後では、平静な気持ちでうまい物は作れまいよ」「すみません」

邦子から事情を聞く山岡たち。「金沢の料亭「前田屋」は由緒ある店で、直さんはそこの一番腕の立つ板前でした。それが去年店を出てしまって」「どうしてなの」「前田屋にはお嬢様がいて、大旦那様は直さんと結婚させて跡取りにしようと仰ってたんですが、お嬢様は直さんの弟弟子の清治さんと結婚を」「それで、さっき森口さんが大旦那が約束を破ったと言った訳が分かったわ」

「金沢は昔から茶道が盛んで、中でも金茶会は一番格式が高く、その茶会のお料理は前田屋が引き受けています。金茶会は日本中から名のある茶人の集まる会で、そのお料理を引き受けるのは大変に名誉なことなのです。ところが大旦那様は三年前から右半身が不自由で調理場に立てませんし、そこにまた若旦那の清治さんまで」「金茶会に満足なお料理を出せなかったら大変なのね」「前田屋の名は台無しになります」

邦子さんから話は聞いたと森口に言う山岡。「金沢に帰る気はないのかい」「私はお嬢さんに裏切られました。それで故郷から逃げ出したんです」「理由は何だ」「それは、私が醜男だからです。それにひきかえ、清治は大変な美男子で」「はははは。醜男だから振られた?そいつはおめでとう」「そんな。あんまりだ」

「森口さん。あんたは俳優かモデルで身を立てる気なのかい」「え」「何で身を立てる気なんだ」「決まってるでしょう。私は料理人だ」「料理の腕が劣るんで、そのお嬢さんがあんたを見限ったんなら、いくらでも嘆くがいいや。だけど醜男だからって見限られて、料理人として、何を嘆くことがあるんだよ」「あ」

ははははと笑う森口。「本当だ。私は何をつまらないことで苦しんでいたんだろう。山岡さん、これで気持ちが楽になりました。きれいサッパリ、恨みも何もかも洗い流しました。今日、金沢からゴリのいいヤツが入ったんです。是非召し上がってください」

「まあきれい。ゴリの刺身ね。あの姿からは想像できない美しさだわ」「むふう。この身の甘さ、この歯ごたえ」「ゴリの骨酒です。焼いたゴリを並べて、熱燗の酒を注ぎます」「ううむ。イワナの骨酒とも違った風味で、実になんとも野趣横溢」「ゴリの白味噌仕立てです」「なんて上品なお味なの。ゴリは川の清流の香りと厚みのある味で、白味噌の甘味に埋もれてしまわずに、お椀全体を引き立てて」

「しかし、ゴリは本当に姿のみっともない魚だなあ。誰かに似てるぜ」「はあ、すみません」「だけど、ゴリは体中から旨味を振り絞って、この椀を最高に美味しい物に仕立てあげてるじゃないか。えらいもんだぜ、ゴリは」「山岡さん、私もゴリのような料理人になります。全身全霊を振り絞って、旨いモノを作ります」「そうこなくちゃ」

金沢に戻る森口。「どうか、今度の金茶会、私に手伝わせてください」「直、すまない。私はお前に」「では、よろしいんですね」「直、頼んだよ」「ありがとうございます。清治、俺はお前にいくつか教えるのを忘れたことがある。車椅子のままでいいから、調理場で俺の仕事を見ていろ」「あにさん、ありがとうございます」「これで来年からはお前一人で、金茶会も大丈夫だろう」

いいかと清治に言う森口。「ゴリの白味噌仕立ての場合、ゴリは泥臭さを抑えるために酒茹でし、さらにアクを抜き、細かく針のように刻んだごぼうを少しだけ加えるんだ。そしてゴリとごぼうはあらかじめ椀に盛っておく。ダシは取らず、ゴリ自身の旨味と白味噌の旨味だけで勝負する。ゴリの野性味と白味噌の上品な味との対比と調和。忘れるな。この味だ」「へい」

金茶会は大成功でしたと言う邦子。「清治さんさえ回復すれば、前田屋は安泰です」「そいつは何よりだ」「で、邦子さん、覚悟はできたのね」「はい。お店からお暇を頂きました」「でも、森口さんにはまだ何も言ってないんだろう。自尊心が強い人だから、女の方から口説かれて、うんと言うかな」「はい。でも」「大丈夫だ。あの男がうんと言わなければ、ブタ箱にぶちこんでやる」「まあ」「さあ、邦子さん」

意を決して、犀に入る邦子。「よっぽどあの男に惚れたんだな」「見てくれより、中身の旨さに惚れたのさ」