遠井吾郎ベスト10 | ロロモ文庫

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遠井吾郎は柳井高時代の3年次の1957年に春のセンバツへ出場し準々決勝に進みますが、早稲田実業に敗れ、同年夏は西中国大会準決勝で広陵高に敗退し、卒業後の1958年に大阪タイガースへ入団します。

2年目の1959年には6月25日の巨人との天覧試合で代打として出場し、リーグ初優勝した1962年に東映の日本シリーズでは6試合に出場するも、7打数無安打に終わり、1963年は8月から4番打者に定着し、規定打席には届きませんが2割8分4厘11本塁打の好成績を残します。

1964年には4番に座ることも多く、規定打席には到達していませんが、2年ぶり2度目のリーグ優勝に貢献し、南海との日本シリーズ全7戦で4番打者を任されるも24打数55安打2打点で2割0分8厘と期待通りの活躍はできませんでした。

1966年は長島茂雄と首位打者争いを繰り広げで、リーグ2位の打率3割2分6厘を記録し、1967年にはリーグ2位の151安打を放ち、1968年4月29日の大洋戦で、カウント2ストライク2ボールからのボール球で一塁に歩き、日本プロ野球史上2人目の「2ストライク3ボール」で四球を宣告された選手となり、1970年のオールスター第3戦でランニング本塁打を放ち、MVPを受賞し、1977年限りで現役を引退。遠井の引退により、大阪タイガースに所属した選手が全員引退したことになり、通算1919試合に出場し、2割7分2厘137本塁打688打点22盗塁をマークしたわけです。

10位は102試合に出場して2割6分2厘8本塁打34打点1盗塁だった1972年。9位は119試合に出場して2割6分0厘14本塁打53打点1盗塁だった1974年。8位は113試合に出場して2割9分6厘5本塁打42打点0盗塁だった1973年。7位は123試合に出場して2割8分4厘10本塁打55打点4盗塁だった1970年。6位は133試合に出場して2割6分2厘13本塁打68打点1盗塁だった1968年。

5位は122試合に出場して2割5分6厘16本塁打52打点3盗塁だった1965年。4位は117試合に出場して2割8分2厘12本塁打41打点0盗塁だった1964年。3位は118試合に出場して2割8分4厘11本塁打56打点3盗塁だった1963年。2位は135試合に出場して3割0分9厘10本塁打58打点2盗塁だった1967年。1位は123試合に出場して3割2分6厘11塁打55打点3盗塁だった1966年となるわけです。