作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(110)」 | ロロモ文庫

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激闘鯨合戦(2)

京極が準備した料亭に行く山岡と栗田とジェフ。「へえ、美しい庭ですね。池、石灯籠、庭石。それぞれに素晴らしい美意識で配置されて、苔は緑のじゅうたんのようだ。今の音は鹿おどしですね。静寂の中に澄み切った音が響く。いいなあ、音まで演出してるんですね」「ほう、ジェフ君はよう日本文化を勉強してはるやないか」「これほど素晴らしい文化を持つ日本人が鯨を殺すような野蛮なことをするのか。日本文化を愛する者として、とても残念です」「ま、話は食べながら、ゆっくり聞かせてもらいまひょ」

刺身が出されて目を見張るジェフ。「きれいな刺身ですね。真っ赤な肉の間に網目状に脂が入って。これは何の刺身ですか」「ジェフも板前の端くれだろ。自分で当ててみろよ」「わかりました。うはっ、これは旨い」「肉の旨味と脂身の甘さが溶けあって、コクがあるのに後味がすっきりしてるわ」

何の肉だろうと首をひねるジェフ。「こんな美味しい肉に出会ったのは初めてです。しかし不思議な肉ですね。獣肉なのか魚肉なのかはっきりしません。鹿やトナカイの肉にはこんなに脂が入ってないし。強いて言えば、馬肉とマグロのトロを合わせたみたいな」「そら、うまい表現や」

続いて出される料理を説明する山岡。「刺身を取ったのと同じ生き物の内臓だ」「なんだかソーセージみたいだけど。いい味だ。舌ざわりが牛の胃袋に似ている」「近いね。それは腸だ」「これが腸?蒸してかなり縮んでいるから、生きている時は直径15センチ以上。そんな太い腸を持っている生き物と言ったら。え、ま、まさか」「そう。これは鯨だよ」

ひどいと絶叫するジェフ。「捕鯨反対の僕に鯨を食べさせるなんてフェアじゃないよ。山岡さん、こんな汚いことをするなんて」「ジェフ、鯨を食べるのは初めてだったのか。なら、どうして鯨は美味しくないなんて言ったんだ」「そ、それは」「ジェフの育ったアメリカの食文化の中に鯨が入ってないからだろう?自分たちの食文化に入っていないものに対して、食べる以前から拒絶反応を示すのはよくあることだ。だが、他国の食文化を、自分たちの食文化と異なるからと野蛮と決めつけるのは、それこそ野蛮な行為じゃないか」「ぐっ」

「ジェフ君、君は日本文化に好意を抱いてくれはるから言わしてもらうけど、鯨を食べるんも日本の文化の一つなんや」「え」「そうや。この刺身や百ひろやらを見とくなはれ。鯨と言う物をとことん知り抜いて、どないしたら美味しく食べられるか研究しつくしてある。鯨を食べる技術をここまで洗練させるのは一朝一夕でできることやない。千年以上かけて、わしらの祖先が工夫を重ねてきたからなんや」「……」

「あんたら西洋人は牛や豚や羊やら様々な肉を食べる。調理法も見事やし、素晴らしい食文化を構築しとる。それもやはり、西洋の長い歴史の中で洗練されてきた結果やろ。一方、我々日本人は長い間、牛や豚など獣肉を食べなかった。そやから、昔の日本人は西洋人が獣肉を食べるのを見て、野蛮や言うた。ジェフ君、それをどう思いなはる?」

「ははは。そんなの滑稽ですよ。牛や豚を食べるから野蛮だなんて、昔の日本人が牛や豚の旨さを知らなかっただけじゃないですか」「うん、その通りや、ならどうして鯨を食べるのが野蛮なんや。牛と鯨の差だけやないか。牛も鯨も獣であることに違いはないと思うがな」「う、それは」

落ち込むジェフに、今日はペテンにかけたようですまなんだと詫びる京極。「お詫びに明日はわしが鶏料理をご馳走するよって。わしは裏庭に菜園も作っとるし、鶏も飼うとるのや。明日はジェフ君のために、最良の若鶏を潰そう」「そうですか。それは楽しみです」

若鶏をさばくジェフに俺たちは残酷だなと言う山岡。「鶏を殺すなんて」「何を言いたいのかわかりますよ。鯨を殺すのも鶏を殺すのも同じと言うんでしょ?それは違いますよ。鯨は人間の次に賢い動物だ。鶏や牛とは違います」「ジェフ。その言い方はおかしいんじゃないか。賢かったら殺してはいけなくて、賢くなかったら殺していいなんて」「え」

「そうよ。鯨だって鶏だって、同じ一つの生命であることに変わりはないわ。殺していいとか悪いとか、私たちが決める権利ではないわ」「賢いとか賢くないとか、そんなこと、誰が決めるの。そんなの、人種偏見とか差別とかと全く同じ考え方じゃないか」「じ、人種偏見だって?」

「そうだよ。いかなる理由にせよ、生き物の間に殺していいものと悪いものを決めることは差別につながるんだ。しかも自分が殺していい側に属していると思い込んだ時、人間はこの上なく残虐になる。その考え方こそ、人種偏見と差別の元なんだ」「それじゃ、山岡さんは何なのさ。魚を食べ、牛肉を食べ、鶏を食べ、その上それを旨いのまずいのと言って。そんなの犯罪でしかないじゃないか」

「そうだよ。俺はとても罪深い人間だ。俺だけじゃない。ジェフも栗田君も京極さんも、人間は全て罪深い存在なんだ。どんな生き物でも、どんなに小さな道端の雑草でも、自分が生きるためには一生懸命だ。生きたいと強く願う気持ちに植物も動物も変わりはない。その命あるものを食べなければ、人間は一日とて生きていかない罪深い存在なんだよ」「……」

「牛を殺していいが、鯨を殺してはいけないなんてあるもんか。両方有罪だ。生命ある物を殺さなければ生きていけない人間が、生まれつき背負った罪なんだよ」「生まれつき背負った罪」「うむ。仏教ではそのことを業と言うな」「そう。人間はそういうものを背負ったとても悲しい生き物なんだ。その人間の本質を無視した捕鯨禁止論なんて、愚劣な戯言でしかない」

反論するジェフ。「でも鶏や牛は家畜として飼っているから増やせるけど、鯨はどんどん数が減ってるじゃないか。このまま捕り続けていたら、鯨は滅亡しちゃうよ」「ジェフ、鯨の数は減ってない。むしろ増えているんだ」「えっ、そんなバカな」