肉弾 | ロロモ文庫

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(日本人の平均寿命は昭和20年は男46.9歳で、現在の昭和43年で男68.5歳。戦争のあるなしでこうも人間の寿命は違うもんかねえ。ためしに引き算してみるか。これは凄い、21.6歳も違う。これは偶然の一致かねえ。あいつはあの時、21歳6か月だった)

海に浮かぶドラム缶の中で、俺も21歳6か月かなあと呟くあいつ。「もうダメだな。今年になって硫黄島だろう、沖縄だろう。あの浜辺でおばさんが言ってたよ。沖縄まで取られちまったたねえ。ダメだねえ、まるでおへそまで見られちまったようで恥ずかしいだよ。だから、もうダメなんだ。沖縄だろう。ピカドンだろう。次は九州だ。ダメだねえ。ダメもいいところだねえ」

食糧庫で区隊長に殴られるあいつ。「なぜ食糧を盗もうとした」「空腹を覚えたからであります」「ガダルカナルではネズミを食っておる」「自分ら候補生は全員牛になって反芻を始めております。人間に戻りたいと思っております」

候補生は皆飢えているというあいつに、ここの食糧は本土決戦用であると怒鳴る区隊長。「貴様はいったい何を思っている」「腹が減りました」「そんなことを聞いてない。硫黄島と沖縄と貴様はどう思っているか聞きたい」「次は九州か。そうなったらダメかと」「では逃げるか」「逃げません。戦うしか道はありません。戦いますが腹が減っては戦はできません」「できる」貴様らは促成教育だと言う区隊長。「食事は確かに育ちざかりの貴様らには不足かもしれん。しかしこれも貴様らを育てるためで、みんな耐えておる。耐えられないお前は豚だ」

(広島に新型爆弾が落ちて、ソ連が参戦した。長崎にも新型爆弾が落ちて、あいつに別命が下った)「今日より幹部候補生は本土決戦のため対戦車特攻隊員となってもらうことになった。君たちは今日から神だ」(人間から牛になり、牛から豚になり、豚から人間に戻ろうと思ったら、一足飛びに神になってしまった。それだけのことだ。あいつは神様より人間のほうが好きだったんだなあ、きっと)区隊長に一緒に死のうと言われるあいつ。しかしあいつは初めて与えられた24時間の休暇をどう使うかで頭がいっぱいであった。

古本屋に行き厚い本はないかと爺さんに聞くあいつ。「あるよ、兵隊さん。電話帳だ」「電話帳はダメだ。面白くないから。適当に面白くて適当につまらなくて、何日も持つのがいい」「あるよ。聖書はどうかね。兵隊さん。あれなら読みづらいが、その割には面白い」

いくらかとあいつに聞かれ、タダだよと答える爺さん。「その代り、兵隊さんに頼みがある。私には両手がない」「え」「B29の奴に持って行かれてしまった。いつもは婆さんにやってもらうんだが、あいにく買い出しに行ってて、さっきから誰か来ないかと待ってたところなんだ」

爺さんが小便をするのを手伝うあいつ。久しぶりに笑ったと笑うあいつ。いい気もちだという爺さん。「そりゃよかった」「死んじゃダメだよ」「は」「死んだらこんないい気持ちにはなれない」「そうですね。でも」女郎買いに行くというあいつにあんたは初めてだねと言う爺さん。「あれは最初が肝心だよ」「最初はどうでした」「いやあ、まっさかさまって感じだったね。あれはまさしく索漠だったよ。仁王様みたいな女だった。女は観音様みたいなのに限る」買い出しから戻ってきた婆さんに例のアレを手伝ってもらったという爺さん。「そうですか。アレを。それはどうも」婆さんを見て観音様だと呟くあいつ。

女郎屋に行く途中で憲兵とぶつかるあいつ。「ははあ。お前初めてだな。アレばっかりは実戦あるのみだ。肉弾攻撃。あとは敵にまかせろ」「敵って言うと観音様みたいな」「観音様?そんなのいるわけない。化け物ばかりだ」女郎屋に行き、お化けばっかりだと幻滅するあいつは、「あけぼの楼」で因数分解している少女を見て、観音様だと呟く。

少女に因数分解の解き方を教えるあいつ。「ここもそう?」「そう」「いくら?」「兵隊さんは4円50銭」「いい?」「どうぞ」あいつは「あけぼの楼」に入るが、部屋にやってきたのは前掛のおばさんであった。「あの、さっきの少女は」「あらいやだ、あの人はここの女将さんよ」「女将さん?」「空襲で両親をいっぺんに亡くしてしまってさ。たった一人の兄さんも戦死してしまってさ。だから、おばさんで悪かったけど堪忍して」前掛のおばさんに押し倒されるあいつ。(索漠だ。索漠を絵にするとまさにこんな絵になる)

因数分解を呟きながら雨の中を掛けるあいつと少女は正面衝突する。泣きながら駆けだすあいつを泣きながら追う少女。防空壕の中に入る少女についていくあいつ。「ここで父と母と五つの妹が蝋人形みたいになって死んだの」「君は」「勤労動員で工場に行ってて」雨に濡れた服を脱ぐ二人。「あなたって酉年?」「どうして」「だって軍鶏みたいに痩せてる」「違うよ。ねずみだ。21歳と6か月」「私はうさぎ」

戦死した兄さんは陸軍か海軍かと聞くあいつ。「誰に聞いたの?」「前掛のおばさん」「陸軍。でも海軍みたいに船で死んだわ。それもベニヤ貼りの一人乗りの」「モーターボートみたいな奴だ。陸軍じゃSS艇と言って、先っちょに爆薬つけて敵の船に体当たりする奴だ。一人乗りって寂しいだろうな」「あなたも?」「俺は違う。一人は一人でも爆薬抱えて敵の戦車に体当たりするやつ。でもその時は俺は気が狂ってるから怖くない。たこつぼの中で敵が来るのを何日も待っている。そして戦車がやってくる。今だ」雨の中を素っ裸で駆けだすあいつ。あとを裸になって追う少女。「私、きれい?」「きれいだ」雷鳴が轟く中で少女を抱きしめるあいつ。「俺はこれで死ねる。君のために死ねるぞ」

翌朝、砂浜にたこつぼを掘るあいつ。「日本は春夏秋冬の美しい国です。山や川の綺麗な国です。日本よい国清い国、世界に一つの神の国。日本よい国強い国。世界に輝く偉い国」と呟きながら海藻採りをする少年は、あいつにこの浜を守っているのかと聞く。「俺一人じゃない。百人で守るんだ」「すげえな。それじゃ百台の戦車が来ても大丈夫だな、おじさん」「まあ、計算ではそういうことになるな」「おじさん、偉いね」「偉くない。普通だ。普通だけどしょうがないんだ」「肉弾だろ。おじさん、肉弾はやっぱり偉いんだ」「そうかな、やっぱし」

勤労動員で町の工場に行っている少年の兄がやってくる。教科書を読む兄。「日本は神代の時代から栄えてきました。日本はアメリカやイギリスなどと戦争しています。太平洋の島々にはすでに日本の神の話が伝えられており、末永く語られることでしょう。これからも日本が立派な国なるように勤め上げましょう」

拍手する少年。狂ってると言うあいつ。「あんな教科書作った奴も教える奴も」そこに現れる教師。「わかったか。非国民」「はい。でもわからんこともあります。太平洋の島々はすでにあちこち取られてしもうて」「なに」

兄を竹刀で殴る教師。弟を探しに来たと言う兄。工場を抜け出したから殴ったという教師。「工場では弾丸を作って」日本は戦争に負けちゃったよ、というあいつ。「内地を守るのにやっとこさっとこだ。どうして殴ったの」「……」教師を追い払うあいつ。

(あの日、あいつは中学の教師をしているあいつの父に呼ばれた。父は家宝の六連発の拳銃をあいつに渡して、こう言った)「死ね。靖国の社で会おう」たこつぼの中の拳銃を盗もうとするもんぺのおばさんを捕まえるあいつ。あいつは拳銃を空に向かって撃つが、拳銃はぶっ壊れてしまう。

もんぺのおばさんはもうダメだねと言う。「ええ、まあね」「沖縄まで取られちまったんだね。ダメだね。まるでおへそまで見られちまったみたいで恥ずかしいだよ」「……」「あれだって。明日か明後日にはアメリカがここに来るんだって。あれだって。アメリカは日本人の男のキンタマを抜くんだって」「どうやって抜くのかな」「それにあれだって。アメリカは日本人の女をみんな妾にしてしまうんだって。それだけはおら嫌だと思って」

「それで死のうと思って」「それで浜に来たけど、泳ぎは達者だべ。首つるにも砂場には松の木もねえべ。そのうちこの穴さ落っこちただよ」「そうですか。でも死ぬことはないですよ。生きていればちょっとしたこと、たとえば小便することだって楽しいですよ」「そう言えば、なんだかそんな気がしてきた」

兄弟は町工場に帰るとあいつに言う。「町に何か用ないですか」「町のはずれに「あけぼの楼」って遊郭がある。そこに観音様みたいな少女がいる。その人にねずみがよろしく。それだけでいい」「その人、おじさまの何だ」「戦争が終わって二人とも生きていたら結婚するんだ」

しかしB29の大編隊が町を襲い、生き残った少年はみんな死んでしまったとあいつに告げる。「兄ちゃんも、観音様も。これだけ残っていた」数学の教科書をあいつに渡す少年。「俺、仇を討つよ。兄ちゃんは焼き芋みたいに死んでいた。観音様の姉ちゃんは蝋人形みたいに蒸し焼きにされて」因数分解の方程式を呟くあいつは、できたと叫んで砂浜を駆けると、バッキャローと叫び、どうやって仇を討つと少年に聞く。盗んだ手榴弾を見せる少年。「おじさんはタンクだべ。おいらは機関銃だ」「肉弾か」「肉弾だ」

「日本よい国強い国。世界に輝く偉い国」と言う少年に、強い国ってのはどうかなと言うあいつ。「世界に輝く偉い国。こいつはいい。そうあってもらいたいな」「今は?」「今はてんでダメだ。君みたいな子供が手榴弾を持つようじゃダメだ。本当にいい国なら子供は小学校で勉強している」「おじさんは大学生?」「そう。でも悪い大学生だった。もっと勉強しときゃよかった」

「でもタンクにぶつかったら何も残らないべ」「でも生まれ変わる時に困っちゃう。生まれ変わる時に屁こき虫になっちゃう」「屁こき虫は嫌だな」「そうだろ。勉強してりゃ、なんとかもういっぺん人間に生まれ変われそうだ。人間なら悲しいこともあるが楽しいこともある」「おら、勉強すべえ」

そこに現れる区隊長。「作戦変更だ。敵艦隊が北上中の情報が入った。我々は前進してこれを叩く。海に出て叩く。海岸線に沿って10キロ東にSS艇の基地がある。そこに行って指示を仰げ」しかし基地にはもうSS艇はなかった。

あいつはドラム缶と一緒に魚雷を抱えて海で漂う。(あいつがドンブラコドンブラコと海に漂っているのはこんな理由からだ。特高にはそれぞれそれらしい名前がついた。神風、回天。しかしこいつには名前をつける暇がなかった。強いて言えばドン亀あたりが適当であろう。何しろこいつは手も足もなかった。駆逐艦が敵の通りそうなところにドボンとは落してくれたが、本当に敵が通ってくれるかどうか。敵が運よくやってきて、魚雷を見事命中させても、また駆逐艦がやってきてあいつを拾ってくれるかどうか。それより敵だ。敵さえくればまあ文句はない)

たこつぼに入って九九を唱える少年は、目の前に入って泣くもんぺのおばさんが邪魔だと怒鳴る。「そこにいると敵が見えないんだよ」「敵なんか来ねえよ。味方も引き上げて行っただよ」「どうして」「日本が負けてしまっただよ」「そんな。日本よい国強い国だべ。世界に一つの神の国だべ」

「神も仏もねえもんだよ。今天皇陛下様の言葉があって、みんなよくがんばったけど戦争もうやめるって。あれだって。無条件降伏って降伏だって。兵隊さんたちはポイポイ銃なんか捨てちゃって。おら、それ見てたら泣けてきて」「おら、泣かねえよ。屁こき虫になってもいいから戦うよ」そこに戦争は終わったというビラを撒くB29が現われ、急いでたこつぼの中に逃げ込む少年ともんぺのおばさん。

目的は敵だとドラム缶の中で叫ぶあいつ。「目標は大型空母だ。うさぎを殺したのも坊主の兄貴を殺したのもみんな飛行機だ。俺はやる。古本屋のお爺さんとお婆さん。前掛のおばさん。もんぺのおばさん。みんなを守らなきゃ」

船を発見したあいつは懸命に魚雷を発射するが、魚雷はすぐに沈んでしまう。その船は汚物を海に捨てるオワイ船であった。何をやってるとあいつに聞く船長。「いや、あの特攻隊です」「特攻?そりゃどうも御苦労さんでした」ここは東京湾だと言う船長。「もっと沖でやれと言われてるんだけどね。えへへ」「東京湾?自分は確か遠州灘沖10キロのところに」「きっと流されたでしょう。でもよかったねえ。戦争が終わっちゃって」「え?いつです」「十日ほど前だよ」

ずっとドラム缶の中にいたんで、横になると死んでしまう気がすると言うあいつは、ドラム缶を引っ張ってくれと船長に頼む。「終わった。戦争が終わったんだ。ちきしょう。うさぎさん、日本が負けたんだって。うさぎプラスねずみはゼロだ。みんなゼロだ。前掛ももんぺも古本もみんなゼロだ。日本よい国清い国。世界で一つの神の国だ。うさぎ。馬鹿野郎。ねずみの馬鹿野郎。うさぎの馬鹿野郎。馬鹿野郎」ドラム缶を引っ張る綱が切れてしまう。

1968年盛夏。海水浴場は若者や親子連れで一杯になる。ドラム缶の中では白骨になったあいつが漂っていた。「うさぎ。ねずみの馬鹿野郎。うさぎの馬鹿野郎。馬鹿野郎」