作:雁屋哲 画:花咲アキラ「美味しんぼ(30)」 | ロロモ文庫

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酒の効用

フランスで20年暮らした経験のある編集局長の小泉は新聞社は企業だと大原に訴える。「全然成果の上がる見込みのない究極のメニュー作りにだらだら金をつぎ込むわけにいきません」「ま、食い物の取材はやらんことには話にならんし、いい物を食えば、金はかかるし」「他の企画に金を回したら、もっと魅力的な誌面作りが出来て、部数だって伸ばせるんです」「うむ」「だいたい、人選が間違っているんじゃないのか。社内一のぐうたら社員と新入女子社員の組み合わせなんて、漫才コンビじゃないですか」「漫才コンビ?」「山岡君と栗田君と言ったな。事情聴取したい。今夜5時半から時間をあけておくように」

懐石料理屋に山岡と栗田を連れて行く小泉。「究極のメニュー作りにこんな手間取るなんて、どうかしてる。今や日本中、食べ物に関する情報は溢れかえってるじゃないか。君たちには食い物のことなんかわからんのだろう。だからメニュー作りしようにも、手も足も出んのだ。谷村部長は究極のメニュー作りを担当するに当たって、試験に合格したと言ったが、もう一度私が試してやる」

ワインが持ち込まれて怪訝な顔をする栗田。「懐石料理なのにワイン?」「どうだ、このワインが何かわかるか」「何だ。試験と言うのはソムリエの試験だったんですか」「何だと」「日本人にとってワインについての外形的な知識は、味覚の鋭敏さとは関係ないと思いますがね」「うぬ」「それに俺は懐石料理にはワインよりも日本酒を選びます」

「何、日本酒?だからイヤになる。あんな下等な酒を飲みたがるとは」「日本酒が下等ですって」「そうさ。私が懐石料理なのになぜワインを飲むのかわからんのかね。日本酒なんてとても飲むに耐えんからだよ。私は東西新聞に入社して、すぐにパリ支局に飛ばされた。私の酒歴はパリでワインによって始まったんだ。20年近く西欧にいて、日本に戻って、日本酒を飲んでがっかりした」

「ふうん。変な酒ばかり飲んだんですね」「何を言うか。テレビや新聞で宣伝している有名メーカーの特級酒ばかりだ」「なるほど」「だから私は日本料理の時は白ワインを飲むことにしたんだ。魚料理に合うからな」「へえ。白ワインが魚料理に合うんですか」「何をバカなことを言う。白の辛口は魚介類に合うのは世界中の常識じゃないか」

「局長、今日どんな形で俺たちを試験するつもりだったか知りませんが、酒とワインの勝負で、その試験に替えてくれませんか」「なに」「明日、俺が持ってくる日本酒を飲んでほしいんです。それがまずいと言うなら、究極のメニュー作りは無しにしてください」「バカな、日本酒がワインに勝てると思うのか」「明日までにお気に入りの白ワインを何本か用意してください」

ニューギンザデパートの会長室に集まる山岡と小泉と栗田と板山。「局長のお気に入りのワインが4本、俺が買ってきた日本酒が8本。今からこれを飲み比べよう。まず、これから行きましょう。テレビや新聞で派手な宣伝をしている大メーカーの特級酒です」「うあああ。こんなもの。ワインと比較にならん。水にアルコールと砂糖をぶち込んだら、こんな味になるんじゃないのかね」「満員電車の酔っ払いの臭いを思い出すわ」

「次はこの酒です」「こりゃうまいな。さっきとは違うぞ」「確かにさっきの酒とは比較にならん旨さだ。純米酒とはどういう意味だ。酒は米で作るのは当然だろうが」「それがそうではないんです。最初の酒を見てください」「原材料、米・醸造用アルコール・醸造用糖類。何のことだ、これは?」

「40年前の戦争中、米不足の時に米をわずかにしか使わずに酒を造る三倍増醸という技術ができました。簡単に言えば、まとも作った場合の酒を三倍に薄めるのです。そして工業用に作ったアルコールを加え、さらに水アメやブドウ糖やグルタミン酸ナトリウムを加えて味を薄めるのです」「なんだと。グルタミン酸ナトリウムと言ったら化学調味料じゃないか。そんな物まで入れるのか」

「そうです。これは本物の酒ではありません。米が十分手に入る今になっても、簡単に利益を生むので、酒メーカーはこの三倍増醸をやめようとしないのです」「なんてこと。大メーカーの酒だから安心と思っていたのに」「逆だよ。マスコミで大宣伝する大メーカーの酒の大半はこのタイプだ」

「すると、こっちの純米酒と書かれた方は?」「地方の小さな酒蔵の製品です。米と米麹と水以外の一切の混ぜ物なしです。本来、こうした酒こそ特級酒と表示すべきなのに、逆になっている。そこに日本酒の悲劇がある。一国の文化にとって大事な物である民族古来の酒をここまで無残にした国民が他にあるでしょうか。まさに文化の破壊以外何物でもない」「すると私じゃ今まで本物の日本酒を飲まずにけなしていたことになるのか」

「でも素晴らしい酒もあります。山形の住吉です」「どっしりと腰があって豊かだ。これこそ昔の本物の酒だ」「石川の菊姫の大吟醸です」「おおっ、果実酒のような香り。こんな日本酒があったのか」「栃木の四季桜・花宝です」「鼻腔の奥にまで広がるふくよかな香りね」

「よし。ここで私の持ってきた白ワインを飲んでもらおう」「美味しい。まるで高貴な宝石を液体にしたみたい」「やはり、ワインの勝ちだな。日本酒はどんなに辛口でもワインより遥かに甘い。こんな甘い酒はデザート用だ。食事の時に料理と一緒に飲めなしない」

「板山社長。カラスミとクチコを持ってきてください」「クチコ?」「ナマコの卵巣の生のものです。干したものをコノコと言います」「クチコって海の香りがプンプンして素晴らしいわ。カラスミの味の濃厚なこと」「そこで、ワインをお飲みください」「わ、生臭い。口中にイヤな生臭い臭いが」

「これは灘の白鷹です。もう一度その肴を食べてから、これを飲んでください」「クチコの味が余計に豊かになる。生臭くなるどころか、海の幸の味を一層深めたぞ」「海の幸に一番合うのは日本酒です」「どうしてなのかしら」「ワインには日本酒に比べてはるかに多く有機酸塩が含まれている。それがワインの味の豊かさの源だが、同時にその中のどれかが、魚介類の生臭さを強調してしまう働きがあるんじゃないのかな」

「ううむ。これだけでは」「板山社長。エスカルゴを持ってきてください。局長、エスカルゴに合うワインは何ですか」「むむ。それは難しい。ガーリックバターで焼いたエスカルゴはどちらかと言うと粗野な味で、しかも魚介類でもなければ獣肉でもない。これに合うワインとなると」「この越乃鹿六とエスカルゴを組み合わせてください」「ガーリックバターのしつこさが洗い流され、それでいてエスカルゴの野趣豊かな味がくっきり浮かぶ」「局長、これでも日本酒はデザートワインですか」

告白する小泉。「私は今まで劣等感に悩まされていたんだ。ワインと叫んでも所詮は他国の文化。私は酒文化のない貧しい民族の出なのかと。この年になって日本は素晴らしい酒文化を持っていることを発見できた。山岡君、感謝するぞ」

大原に主張する小泉。「究極のメニュー作りを百周年記念事業などと言う短期的な企画として扱っているのが間違ってます。本物の日本酒一つ探すだけで、どれだけ大変なものか考えてごらんなさい。私はもっと長期的に腰を据えて取り組みことを主張します」