水木しげる「水木しげる伝(11)」 | ロロモ文庫

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魚の骨なんかどうだ

駆逐艦は静かにラバウルをあとにした。みんな椰子の木一本一本に別れを惜しんだ。それは生きて帰れるということは夢のまた夢と思っていたからだ。一週間後に富士山を見たとき、ああ本当に日本へ帰ったんだと、みんな自分の顔をつねってみた。しげるは昭和22年3月こと浦賀についた。再手術ということで国立相模原病院に入れられたが、故郷に帰ってきてもよいということで、汽車で帰ることにした。

しげるの軍隊生活は4年くらいだったが、もう生きて内地の土を踏むことはないと思っていたから4年は40年に感じられた。心は浦島太郎だった。米子の駅に亮一が迎えに来る。亮一はひどく老いていた。しげるの左手をさわる亮一。「あっ。えらい短いな」「うん」「もう少し長いと思っちょった」建物疎開で半壊になった家はもとの姿だったし、近所や漁船もそのままだった。(空には爆音もない。そうだ明日だって明後日だって生きられるんだ。ははははははは)

しげるは手の手術を受けるために東京に戻る。しかし食事が粗末でトウモロコシで作ったコッペパン一個だった。夕食は大根の煮たのと飯だった。仕事をしようにも終戦直後だから仕事もない。その上、しげるの胃は人一倍いいから空腹でたまらない。そこで思いついたのが、友人と千葉まで行って米の買出しである。一回で500円もうかる。その金で新宿の闇市でオカラずしを食ったりする。5円で5個だから100円もあれば豪遊できた。

「手術の順番はどうしたわけか、なかなかまわってこない。買出し屋を本格的にやって腹いっぱい食おうかな」「なんつったって、コメは東北だべ」「東北?よし東北で稼ぐぞ」しかし財布をすられるなどうまくいかない。「どうだ。教会へいがねえが。娘っこもたくさんいるぞ。芋も食える」

教会で説教が終わると悩めるものと認定されたのだろう。傷痍軍人と若い娘は牧師の自宅に招かれた。戦争で繊細な神経を失ったのか、もともとそうだったのか、ムチャクチャに強い心臓でひたすら芋の出現を待った。しげるは二ヶ月も芋を食べるために教会に行く。南方で現地人の村を訪ねたのと同じ気持だった。あまりに凄まじい芋食いに友人は恥ずかしくなって、同道しなくなる。

手の手術は終わり、一週間で元気になる。しげるは武蔵野美術学校に通い始める。そんなとき、病院直属の染物工場で染物の下絵の見習いを募集していた。ここに就職すればこのまま病院にいるのも都合がよい。早速仕事をやらせてもらったが、丸いものを四角に書いたりして、ヘマが多かった。染物工場は閉鎖になり、病院で寝ていると片手に残った手に指が三本しかない熊谷という男がやってきた。「秘密の会合があるから出てみないか。あんたも同伴してくれれば心強い」「なるほど」

会合に行くしげる。「この会は何するんですか」「いやあ。昨日できたばっかりなので、まだ何をするか決まってないです」会合は始まる。「この会を大きくするのは必ず建物が必要です」「建物といえば東京には人のいない焼ビルが山ほどある。この青山に交通局の焼ビルがある。あれが好都合だぜ」「じゃあ、今夜占領しよう」「ゆくゆくは傷病兵たちの会として大事業をやるんです」「占領となれば、夜襲が一番だ」

焼ビルを占領するしげるたちであったが、東京都は金がなかったら、月島の引揚者専用の家があるからそこにいけ、と命令する。「さて、我々はこれからどうして飯を食うんだろう」「今日そのことで相談がある。渋谷の魚屋の親方がいうんだ。こんど魚屋も登録制になる。魚屋をやればどうにか飯は食える」「飯が食えればいうことはねえよ」そうこうしているうちに、武蔵野美術学校から出席がないがどうしたのか、という通知が来て、やむなくしげるは一週間ばかり出席する。

しげるは魚の配給のない日は、美術学校に通っていた。ほかの連中は食えないので、街頭募金を始めた。恥ずかしいものだから、相模原病院から10人ばかり応援してもらった。しげるの兄の宗平がしげるを尋ねてくるが、すぐに刑事が宗平を連れて行く。すなわち「B級戦犯」で逮捕されたのだ。「それにしてもだよ、日本人が日本人を戦犯だといって逮捕するのはけしからんじゃないか。ゆくときは歓呼の声でおくっておきながら、敗れると戦犯とは何だ」

魚屋のほうは足に負傷のあるモッちゃんというも兵長が手伝うことになって、万事うまくいった。そんなとき、しげるは買ってきた背広がないことに気づく。「スイマセン」「なぜ背広を盗んだんだ」「女郎屋に行くためです。おかげで淋病になりました。医者に行く金を」「馬鹿者」「ダメですか」「当たり前だ」月島引揚者寮の同室の男が背広を盗んで女郎屋に行き、淋病になった。「困ったなあ」「俺にそんなこと言われても困るよ」

それから2、3日して隣にいた傷痍軍人がやってくる。「ちょっと一緒についていってくれよ」「なんの話だ」「ちょっとイチモツがおかしいんだよ」「なんだ。性病か」「ついていってくれよ」医者はリンバイと診断する。「淋病と梅毒を同時に。こりゃ大変だ」リンバイの男はまもなく故郷に帰ったが、死んでしまう。それからしげるは性病を恐れるようになり、そのほうは好きだったが我慢するようになった。

しげるは魚屋のマーケットをモッちゃんに売って、吉祥寺の井の頭公園近くに引っ越す。仕事は片手でできるものということで、三輪タクシーをすることにした。一日500円で運転する人に貸した。しげるは昼ごろまで寝ていてから学校に行った。学校ではもう午前中の学科の授業は終わっているので、石膏デッサンをやって夕方帰るという生活だった。そんな生活を一年近くやっていたが、学校が空いている教室をうどん工場に貸すという事件が起きた。そのころは日本中が経営難で学校もそうだったらしい。学校はうどんに占領された。

しげるはこれからのことを考える。「好きなことをして死ねるという線でいくしかない。すなわち、絵に関係した仕事で飯を食うわけだ」そこに友人がやってくる。「何か食い物はないか」「魚の骨なんかどうだ」「おれ、なんだって食えるよ。南方で一度は死に掛けた男だもん。おめえバカに元気はないな」「俺、いま1000万円ないとエカキになれないと聞いて弱っているんだ」「わけないよ。東海道を街頭募金しながら南下すれば旅行は出来るし、1000万円くらいわけないよ」彼のすすめに従って、吉祥寺の家を引き払い、茂は募金旅行に出かける。