昼下がりの大冒険
移動アイスクリーム屋の前であれこれ考えていた太一は大学時代の同級生であるヘイゼル・ミルトンに声をかけられる。「大学の時から、君は俺にとって興味の的だった。とびっきり優秀な変人だったからな。どんな職業につくかと思ったら、今じゃフリーの調査員としてがっぽり稼いでいるんだって」「いやあ」「ロイズに用があったんだ」「いや、今日はアイスクリームを買いに。あ、そうだ。アイスクリーム忘れてた」
「名物教授のユーリー・スコットの一番のお気に入りだったのに、突然軍隊にはいってしまった。あの時は驚いたよ。なあ、どうして軍隊なんかにはいったんだ」「そう。自分を鍛えなおしたかった」「で、うまくいったのか」「いや。でも少しだけ有意義だったかな」「本業は大学の講師なんだって」「そっちのほうは失業中なんだよ」「キートン、今日は徹底的に飲もう」「仕事はいいのかい」「心配するな。俺はこの年でサザーランド銀行の海外融資部長だぞ。管理職は時間に縛られない」「……」
「そういえば、キートン、赤ちゃんがいたな」「百合子か。元気にしているよ。もう15歳だけど」「え。もう立派なレディーだ」「彼女にはいつも子供みたいって叱られるよ。今日も実は百合子が私に手紙をよこしてね。英国王室御用達のアイスクリーム屋が日本の女の子向け雑誌に載ったんで、味見してこいって。それがさっきのアイスクリーム屋でね」「そんなことしてるから、子供だって言われるんだぜ」
上司との話し合いを思い出すミルトン。『実に残念だ。君ほどの人材を。しかし、ボリビアの債権は、どうしても回収できなかった。それに奥さんの件も』『家内が出ていったことは、プライベートなことです。では』『推薦状なら私が書くよ』『私は責任をとってやめるんです。お心遣いは結構です』
いつまでも君は子供っぽいなあ、と感心するミルトン。「もっとも大学時代、そういう君に彼女が惚れたって、俺たちは納得したんだ。奥さんは元気かい」「……」「彼女はサマヴィル女子校の星だった」「女房とは別れたんだ」「!」「あの頃の私は大人でもなく、子供でもなかった。ただワクワクして、自分だけの大きな夢に押しつぶされそうだった」
ミルトンはギリシャ哲学のカザンツァキ先生を覚えているかと言う。「アリストテレスだっけ。男の理想的結婚年齢は37歳だって言ったのは。あの頃のギリシャ人の平均年齢はわずか50歳。それが結婚してもうやっていける本物の大人になる年が死のほんの13年前なんて。だとしたら80歳まで生きる俺たちが本当に成熟するのはいくつなんだろうな」
自宅の荷物を整理していたときの妻との会話を思い出すミルトン。『君のお気に入りだったクリスタルグラスも入れておいた。チェスターで買ったティーカップも進呈しよう。いやあ、荷物が半分片付くと、我々の家も結構広かったんだね』『また、そうやってスタイルを気にする』『え』『どうして、そんなに無理して冷静でいるの』『俺はこう思っているんだ。お互い仕事を持つ身だ。この際、一人一人になってやり直してみるのもいいだろう』
『私が一人で住むんじゃないことぐらい、わからないの』『だ、誰だ』『ジョンよ』『あ、ああ。君のオフィスのあの若者か。そうか。彼なら前途有望だ』『また、そんなふうに冷静なスタイルをとる。あなたはいつも、そうやって自分をごまかしてる。だから見えないの。あたしのことも何も』『……』『僕は35歳までに部長になり、40歳には重役。まとまったお金ができたら、ヨットで二人で世界旅行をしよう。そして僕はグレアム・グリーンのような小説家になるんだ。あなたのプロポーズの言葉よ』『……』
『実際、予定より2年早く部長になったし、今度のボリビアの件がうまくいけば、4年も早く重役になれるわ。だけどそれだけよ。あなたはそれでいいのよ』『人間は年をとる。大人になっただけだよ』『いいえ。夢をなくした子供がここにいるだけよ』『そ、そうだ。あの車も君にあげるよ』『ジョンがもうすぐ車で迎えにくるの』
(あんなひどいことを言われたのに。俺はまだあの女に評価されたがっている。最低だ)移動アイスクリーム屋を見つけて、その美味さに喜ぶ太一とミルトン。「ラムレーズンは特Aだな。百合子に教えてやらなきゃ。さすが英国王室御用達」「なあ、キートン。確かにうまいアイスクリームだが、後用達ってのは」「え」まあいいか、とつぶやき重い鞄をゴミ箱に捨てるミルトン。「御用達が嘘だって、あのアイスは特Aの味だ」
「なあ、キートン。一つ聞いていいか」「なんだ」「離婚してどうだった」「とても悲しい気分だった。でも」「でも?」「僕は彼女と別れて少しだけ大人になった気がする」