プロジェクトX「8ミリの悪魔VS特命班(2)」 | ロロモ文庫

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ウリミバエを根絶せよ

岩本はコバルト60作戦を農林省内で提案して了承を得ると、大蔵省主計局担当官と会った。「この方法で絶対にウリミバエが根絶できるのかね」「……」「どうだね」「根絶できます。コバルト60作戦は世界中で効果を上げている。絶対成功します」

岩本の一世一代の大芝居は功を奏した。国はウリミバエ根絶事業に破格の一億円の予算を投入することを決めたのである。まもなく、日本農業の命運を託したプロジェクトがここに発動する。

伊藤嘉昭(42歳)。日本を代表する昆虫学者。垣花廣幸(27歳)。特命チーム若手のリーダー格。農業試験場から駆け付けた害虫研究マン。仲盛広明(23歳)。特命チーム最年少、石垣島出身。以下全員、沖縄農業試験場に所属する研究員で構成された特命チームの誕生である。

ウリミバエ対策特命チームに行きたいと上司に訴える与儀。「沖縄がまもなく本土に復帰すれば、同じ公務員と言っても、君の立場は日本政府の職員で、特命チームは沖縄県の職員。立場が違う。給料だって今の方が」「……」「決意、固いんだな。あんたはこうと思い込んだら、大きな岩でも動かす男だ。気の済むまでやるがいいさあ」与儀は特別に農業試験場の職員への転籍が認められ、晴れて最後の特命メンバーに選ばれた。

1972年5月15日、沖縄本土復帰。念願の沖縄野菜の本土出荷も始まる。沖縄経済回復の切り札。ビタミン豊富な沖縄野菜は物珍しさもあって、本土では高値で飛ぶように売れた。しかし、その4か月後、沖縄本島本部町でウリミバエの存在が確認され、その情報は直ちに農林省に伝えられた。復帰からわずか4か月、沖縄県全域の野菜の出荷は厳しく規制される。

那覇港に厳重な警備の元、特命チームの秘密兵器コバルト60をサナギに照射するための放射性物質が運ばれる、(本当にこれがウリミバエの生殖細胞だけを破壊してくれるのか。生命力自体が弱まってしまう可能性はないのか)人間に照射すれば死を招くと言うほどの量の放射線を浴びたハエにどういう影響が出るのか。特命チームのメンバーも半信半疑だったと言う。

思えばたった6ページのニップリングのレポートだけが頼りの見切り発進で、プロジェクトは動き出していた。失敗は許されないにもかかわらず、データは全くないのだ。チームは本格的な沖縄戦の前に実験の必要性を感じた。その実験場に選ばれたのは久米島。1970年に40年ぶりの分布拡大で、ウリミバエに浸入され、与儀たちに絶望を与えたあの地であった。

(2年ぶりか。島のウリミバエが一体、何匹まで増えているのか。想像がつかんな)生息状況の正確な測定は不可能だった。世界50か国でこの作戦が失敗したのはそのためだと言われる。

一つ試してみたい方法があると与儀に言う伊藤。「島の中の一定面積内におけるウリミバエの存在数をある方法によって調べ出して、それを基に島全体の数を計算上で割り出す。マーキング法という方法だがね」

マーキング法は本来、絶滅が心配される希少動物の数を確認するために使われる方法だ。動物の保護のために使われてきた方法を害虫絶滅に使う。まさに発想の転換だった。4ヘクタールのほぼ正方形の調査地を作り、その中に25個のトラップを配置し、500匹くらいのマークしたオスを放つ。後日、トラップ内のハエを調べ、その中のマークオスの割合から野生虫の個体数を推定する。

一か月後、そこから割り出される値の平均値から島全体の総数が浮かび上がった。久米島のウリミバエの総数は推定500万匹。(500万匹。わずか2年でこんなに増えたのか。でも、俺は負けんぞ)

数日後、特命チームの若手たちが遠く離れた石垣島に送り込まれた。彼等はプロジェクトの成否を左右する重要な任務を与えられていて、いつ帰れるかもわからない覚悟の入島であった。与えられた仕事は不妊化させるウリミバエの大量飼育。

「害虫ってのは減らすもんじゃないか。それを生めよ増やせよって言うんだから、こりゃおかしな話だよ」「久米島のウリミバエ500万匹を根絶させるには週100万匹の不妊虫を生産し、撒き続けることが必要だそうだ。とりあえず目についたウリミバエの卵を片っ端から集めよう」

島の外れに設けられた増殖施設の中で幼虫飼育が始まった。「おい、見ろよ」「クーラーだ。贅沢だねえ」「部屋の温度を一定にするためさ」「涼しい。快適な職場ですね、垣花さん」「うん。意外にこの仕事は楽しいかもしれない。さあ早く卵を部屋に運ぼう」

集められた卵はトマトジュースと水で混ぜられた後、飼育容器に培地を入れ、その上に卵を移す。そして一定の温度(20度~28度)で6日間飼育し、幼虫になるのをひたすら待つ。それはまさに地獄の前の安息の一週間であった。

 

地獄の飼育作戦

一週間後、メンバーはとんでもない伏兵に打ちのめされる。「何だ、この臭いは」「ううう」それは幼虫室から溢れ出してきたウジ虫の体液だった。密閉された狭い部屋の中で、ウリミバエの幼虫は凄まじい臭いの体液を一日中出し続けていたのだ。その被害は施設の周りにも及び。近所の人もこの施設を避けて遠回りするほどであった。

「ただいま」「お帰りなさ。う、臭いわ」「そんなに臭うか」「ええ。私、少し気分が」「久美子」「お願い。寄らないで」垣花の妻、久美子は妊娠していて、つわりが激しい季節だった。そこで垣花はまず帰宅すると、別棟の浴室で念入りに体を洗って玄関に入るようにした。その臭いは本当に凄まじく、久美子は夫の帰宅が足音でなく、臭いでわかったほどだ。当時、垣花の持ち歩いていた書類にもそれは染みつき、なんと20年以上経っても取れないと言う。

問題はそれだけではなかった、「沖縄にはシロアリが沢山いるから、卵を食べてしまうのではないですか」「なるほど。駆除剤を撒いた方がいいな」「いや。飼育室の壁に塗り込んだ方が効果的でしょう」「それがいい。早速やろう」

「えっ、かえったはかりの幼虫が全て死んでいる」原因は駆除剤を染み込ませたコンクリートの壁になった。駆除剤がほんのわずかだけガス化し、室内に流れ出す。それだけが原因であった。

「大変だ」「今度は何だ」「また幼虫が全滅です」「なに。壁に駆除剤は全て洗い流したはず」「見てください。垣花さん。温度計を。部屋の温度が3度上がっています。クーラーは正常に動いている」「なぜだ。俺たちはこんな謎に満ちた生物を週に100万匹も育てられるんだろうか」

「ダメですよ。このままじゃ」「仲盛」「また同じ間違いを繰り返すだけです。私たちはウリミバエのことを何も知らないんじゃないでしょうか。私はこれからは24時間、ウリミバエと寝食を共にしたいと思います」「24時間って、その臭いの中でか」「私は一人でもやります」

その日から、仲盛は飼育室で夜を明かした。それは情熱を通り越した執念だった。「入れ込み過ぎだぜ」「成虫になってないよ。あいつは」「あいつはこの石垣島の出身で、8人兄弟姉妹の末っ子で、大戦末期には2人の兄と姉を亡くしているそうだ。でもそれはアメリカ軍の攻撃によるものではなかった。自決でもない」「……」

語る垣花。「艦砲射撃を避けるために、兄姉たちは両親に連れられ、必死で島のジャングルに逃げ込んだ。そこにマラリア蚊が襲ってきた。数日後2人は高熱を発症し、うなされながら死んだそうだ。やがて生まれ育った仲盛は、それを母に聞き、亡くなった場所に案内してもらったと言う。あいつはそのジメジメと湿った岩場に小さな窪みに両手を合わせて、誓ったそうだ。復讐を。害虫は全てあいつの仇なんだよ」

「おい、仲盛」「え、はい」「交代だ。交代。たまには家に帰れ」「はあ」「これからは皆で交代で監視することになった」「とことん付き合うぜ」

メンバーたちは飼育室に交代で寝起きしながら、虫の育ち具合を見張った。仮眠は餌が置かれた倉庫。服についた餌にダニが涌き、体中が痒くなったが、誰も弱音を吐かなかった。こうした苦闘の結果、謎に包まれたウリミバエの生態がわかってきた。幼虫は夜から朝にかけて活発に活動する。その時、幼虫の呼吸は激しくなり、体温が上がる。すると満室状態の室温も急上昇するのである。こうして以前の集団死の理由も判明したのだった。

語る垣花。「虫と一緒に暮らしていると、臭いや空気、手触りで虫の調子がわかるようになるんです。スキンシップと言うやつです」やがてメンバー一丸となった努力は実り、週10万匹、そして週20万匹と、少しずつ作戦遂行可能なウリミバエは増えていったのである。

垣花に電話する与儀。「そうか。その調子だ。垣花君。ところで例のハリキリボーイはどうした」「仲盛ですか。元気は元気ですが、憎き害虫が可愛く思えてきたらしくて、困ってますよ。私らもみなそうですが」「それでいい。情なき人は虫以下なり、さ」青春の全てを不妊虫にぶつけている後輩たちのひたむきさに、鬼の心も一瞬緩んだ。(俺もハエのように飛んでいきたい所だが。そうはいかん)

沖縄本島チームは重大な危機を迎え、対処すら出来ずにいた。当初、本島南部だけだったウリミバエの生息地は、着実に北上を続け、全島に仕掛けられた罠の至る所に見つかるようになっていた。「与儀君、ウリミバエの本土上陸を危惧する声が強くなっているんだ。本島に根絶できるのかね」「ええ、全力で」「久米島の実験は急げないのか。万一、それで失敗したら、一体」「全力で」