KYOTO POP
国宝Gメン知念は京都の路地裏で写真をとろうとするが、婆さんに注意される。「ちょっと。この路地は通り抜けできしまへんえ」「ちょっと写真を撮るだけで」「あきまへん。誰かおまわりさん、呼んだってえ」「わかったさ。出ていけばいいんだろ」文句を言いながら出ていく知念は、藤田と出くわす。藤田が「とみ屋」という旅館に泊まっていることを知った知念は、ノートパソコンを藤田に見せる。
「これはバーチャル京都です。長年私が撮りつづけた京都の街の写真から再構成したものだ。なにしろ、京都の景観の破壊はひどくなる一方だ。歴史ある瓦屋根や格子窓は消え去り、不粋なコンクリート建築が増殖している。京都がどうなってもいいのか。この旅館だって、いつもでもこの姿じゃないんだ」「どういうことだ」「見たまえ。坪庭だ。坪庭こそ京都の町屋には欠かせない。自然を加工し、人工美に調和させてとりいれるという日本人のお家芸。それが滅びるのだ。もし、この「とみ屋」の裏手に高級マンションが建ったら」
高級マンションを建設するのは毒島という男で、京都の町に次々にマンションを建てている男で、フジタの顧客だった。毒島はアメリカのポップアートに目の無い男であった。「京都は伝統に固まって窮屈で辛気臭い街ですわ」「なるほど。それで古い街並みを地上げして、マンション建設。社長は確信犯でいらしたわけですか」
藤田は京都はアメリカよりポップに満ちていると断言する。「社長が明日一日わたしにおつきあいできるなら、京都のポップを堪能させてあげますよ。そして、私の説が正しいとご認識いただけたならば、あるマンションの建設計画をあきらめていただきたいんですよ」
翌日、毒島は京都のポップを見せろ、とせまる。「そもそも、ポップアートとはなんでしょう」「そないな専門的なことはわかりません。ただわたしはウォールやリキテンスタインが楽しげで好きなだけで」「それです。それがポップの本質です。20世紀のアートは高尚になりすぎたのです。ピカソ、デュシャン、ポロック、ロスコー。抽象の全盛で、美術は亜作家と評論家のための世界となった」
「そんな状態からの反動で1960年代、アメリカにポップアートが登場します。ポップアートのパトロンは大衆です。テーマはあくまで日常的なもの。眼でわかる明快さやユーモアで大衆の目を楽しませました。アーチストの主張を放棄して、大衆の欲望に奉仕する。それがポップアートです」
まず藤田は東寺に行き、曼荼羅を見せる。「整然と幾何学的に並ぶ仏たち。これはまるで1300年前のウォールではありませんか」「確かに昔はそうやったかもしれんけど」「そうですな。あくまで平安京のポップです。しかし当時としては衝撃的なド派手な文化として、平安貴族のどキモを抜いたでしょう。日本の文化はワビサビだけでは語れない。その反動として、派手さへの渇望が突出する。桃山の南蛮文化。日光の東照宮。そして、あれこそはそのさいたるモノです。金閣寺」
金閣寺の中にはいる藤田と毒島。そこには知念が待っていた。「足利義満によって創建された金閣寺は、全面漆塗りに金箔押し。昭和25年放火事件で国宝指定を外されるが、昭和61年の大修復を経て、創建のころの輝きを取り戻した。二層には復元された天女や観音像や四天王像。見渡す限り金。また金」
「黄金の国ジパングの繊細華麗な建築工芸品である。普段、一般客は外からしか拝観できない。知念さんに特別に頼んで、上がらせてもらったんですよ」絶叫する毒島。「京都のど真ん中にあって、こないなものを見逃しておったとは。金閣こそは、世界に誇るべきポップアートやわああ」
毒島はマンション計画を中止するが、別の買い手に裏手を売ると土地の持ち主はいう。それは知念に注意した婆さんであった。「土地が欲しいゆう業者はいくらでもおります。マンションが建つかは、うちの知らんことですよって」「しかし、こんな静かな町屋で老後を過ごすのは大変な贅沢だと思うのですが」「足悪くなりましてなあ。老人向けのマンションにでも移ります」
「それでは、しかし。せっかくの裏のとみ屋が。旅館に風情が台無しに」「はな、旦那が買うてくれはります。この土地?」「そ、それは」「いろいろな方が京都を大切にせえ、美や伝統を守れ、と言わはります。言うのはタダや。うちに言わせたら、京都は所詮飾り物です。東京が日本の本妻なら、京都は妾です。それもお手当てを支払われないお妾さんや。飾りもんに金をかけなんだら見苦しゅうなる一方だと思われまへんか。ほほほほ」