帰国します。いつも思うのですが、アラビア圏の男性は、よー喋りますよね。男性同士、話の途切れることがありません。日本の男性て静かよな。出国後のエリアはお洒落なカフェあり意外。それよりもこの喧騒がなんかウケル。笑




ここはリビアのミチガ空港(MJI)。トリポリ国際空港は閉鎖中だそうで、国内空港のMJIを国際空港として使用しています。ミチガは軍民共用なので、空軍機が民間機の隣に並列駐機してたりして、なんかオモロ。





今回の旅の収穫は何と言ってもリビアでした。トリポリから入国した際の記事にも書きましたが、サハラ以南より飛んできて心底ホッとしました。アラビア圏のこの安心感は何なんだろうか?そしてワクワク感も違う。






リビアに降り立ち訪問国は191ヶ国となりました。国連加盟の未訪問国は僅か11ヶ国です。その中で本当に行きたい国は、イエメンとアフガンの2カ国だけ。残りは北朝鮮と中央アフリカ8カ国。そこら辺はもういいかな。行く気せえへん。






ここまでで再訪したいと思う興味深い国は3カ国。イラク、シリア、リビア。行ってない都市が沢山ありますので、イエメン、アフガンを交えつつこの4カ国を中心に今後巡りたいと思います。






さぁ、リビアからエジプトのカイロ経由で帰ります。さよならトリポリ。





シンプルな折り返しだなぁ。




おお、ピラミッドが見えてきた。




皆様、ピラミッドは日本人が作ったという説があるのをご存知ですか。ピラミッドだけではありません。メソポタミア文明の主役シュメール人も日本人なのではと、まことしやかに云われています。何れも「東方より来たれり者達」がキーワード。








メソポタミア文明の起源となるシュメール人の血は、現代その地に住むイラク人に流れていないのは有名ですよね。シュメールの出所は未だに不明です。どこか遠方からやってきて、あるとき突然いなくなったと伝えられています。忽然と姿を消したのは、古代イスラエルの失われた十二支族も同じ。







話が飛びますが、十二支族の話が真実ならそのうちのダン族は、今回の旅で訪ねたエチオピアの「ラリベラ」 あたりに身を隠したとされています。






今回訪ねた世界遺産のラリベラ修道院群は、12〜13世紀にエチオピアを支配したラリベラ王が建造したということになっていますが、これには異論を唱える学者も多く、その数百年前には既にあったとする意見も見られます。








実際、ラリベラ王統治当時の岩窟教会建設に関する資料は一切なく、のちの王は「ラリベラ王は天使の助けだけを借りて教会を石から彫った」と述べており、








「天使」とか言ってる時点で、私はラリベラ治世での建設の可能性は極めて低いと思っています。因みに彼の在位は12年、岩窟建造物の建設は少なくとも24年かかっているとされています。







ラリベラという街の名は、この王にちなんで付けられたもので、それ以前はロハという名称でした。ラリベラ王は、若い時に聖地エルサレムで過ごしたそうで(私はこの説も疑っている)、サラディーンにエルサレムを陥落された後、ラリベラを新たなエルサレムにしようと聖書に出てくる地名をつけたということになっています。







しかし私は、それ以前から既にこの辺りはその地名でヒッソリ呼ばれていたと推測します。ある一族によって。






ここ以外でエチオピアやその周辺にこんな風に一枚岩を刳り貫いた建物はありません。もしこれがエチオピア中世の文化なら、それこそ広い国土、幅広くあちこちにこれらの建造物が点在するはずです。しかし、エチオピアどころかアフリカ全土に渡ってこのような建造物は見当たらない。







大体、ラリベラの建築群の建設になぜこのような標高の高い山間の地が選ばれたのか。なぜこれほど硬い一枚岩をわざわざ垂直に刳り貫いて建築物を作る必要があったのか。







点在するいくつかの建造物は、それぞれが地下道で繋がっていますが、なぜにこの雄大な山々に囲まれた大地の教会でコソコソ隠れる必要が?そもそも広くエチオピアを統治する一国の王が、わざわざ人目を憚るような建築物を造る理由がわからない。







私には、通りがかりの部外者にそれと分からないようにする必要があったからとしか見えませんでした。まぁ、こんなところをわざわざ通りがかる人もいないので、一般的に考えれば追手からの目を欺くためでしょう。







ここにいることをバレるとマズイ人々がここを作って生活していたと考えるのが自然です。元々教会群ではなく、教会あったという集落だった。









つまり、ラリベラはエチオピア人ではなく古代イスラエル十二支族の一族が逃れてここを建造し人目に触れず居住した。








というのが私の考えです。







ラリベラはほんの一例です。話は戻って、本当に失礼を百も承知で言わせていただくと、パキスタン(インダス)やイラク(メソポタミア)、エジプトなど「文明」を起こしたとされる国をこれまで訪ね、現代そこへ住む人々を観察するに、彼らの先祖がこれほどの文明を築いたとは到底思えない。








これだけのものを創造できる技術や知識が数千年前にここの人々に備わっていたのだとしたら、そのずば抜けた能力は後世に代々引き継がれ、今や先進国を遥かに凌ぐ信じられないような都市国家が築かれていても不思議はない。でも実際は違う。数多の戦争を差し引いたとしても後進、私は違和感を覚えるのです。







例えば今のアフリカ(サハラ以南)を見ていて思うのですけどね。中国や日本、EUがどんなに支援してインフラや環境を整備・構築しても、与えられた側はそれを維持する能力、進化させるスキル、発展させる応用力がないと、どんどん廃れて無用の長物になリ下がるのですよ。







そんなことが、古代文明発祥地でも実は起こっていたのではないかと。結局、維持できるスキルなく廃れた。時の権力者が無能だと、更にそのペースは早い。







歴史なんて塗り替えられて真実などほとんどわかりません。フェニキアの記事でも書きましたように、バスコ・ダ・ガマの世界初航海!など数千年前に既にフェニキア人が確立しておりガマはその足跡を辿っただけです。今回のリビアや前回のシリアで辿ったフェニキア人の歴史も、ローマに破壊され歴史上存在しないくらいまで消されてしまいました。








日本も同じくで、コレ現代日本に通じるものがあるのですけど、日本は世界の国々へ向けせっせと社会インフラを提供しますよね。それ以外にもそれこそ国際協力、ミクロからマクロまでその土地に合った資材、地の利を活かし、その風土に馴染む手法を分析して広義に構築支援しています。









そんなことは実は現代に限ったことではなく、古代縄文時代から脈々と続いてきたのではないかと思っているのです。縄文文化は世界の文明と呼ばれる上述の国々を遥かに上回る15,000年の歴史がありますのでね。







そして、それらを提供し現地で軌道に乗せたら、日本人は船で帰国した。「東方からやってきた者達」が、「忽然と姿を消した」。








そういうことなのではないかと文明を抱える国々を旅する度に思うのです。世界で最もIQの高い日本人という人種は、現代だけでなく古来から技術と知識をフルに活かし国際協力に余念がなかったのではないかと。























ところで、エジプト航空ってアルコール提供ないのよね。トリポリのファディ家でも頂いたストロベリージュースを頂きます。コレ、ほぼそのままイチゴが入っていて本当に美味しい。





カイロから東京へ。イスラエル上空を避けての航行なのかな?




さて、この旅も終わりです。ジブチのフライトディレイでエリトリア3泊予定が日帰りになるなどアクシデントもありましたが、そのおかげでラリベラへ行ったりと予期せぬ収穫もありました。帰ったら保険請求します。笑




今回も長旅にお付き合い頂きありがとうございました!